日本フットボールリーグJFL

2013-7-18

~夢は大分ダービー~ 社会人チームとして地域密着を目指す

 2003年大分県由布市にある豊洋精工株式会社とソイテックジャパン株式会社の社員によって発足したHOYO FC。10年目の2012年にはJFL昇格を果たし、チーム名も「HOYO大分」と変えて、より地域密着を目指したチーム作りをしています。

 今回の「Pick Up Team」は、大分県由布市にあるチームの練習グラウンドでHOYO大分鴨川奨強化部長にお話を伺いました。

Q : 練習グランドはとてもいい環境ですね。

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鴨川奨強化部長

A(鴨川強化部長):「グラウンドは昨年から使っています。由布市のグラウンドで借りて使わせて頂いています。」

Q : 選手の皆さんはグラウンド下にある仕事場で働いているんですよね。

A:「みんな、朝8時から夕方5時まで働いて、仕事が終わってから練習しています。」

Q : なぜ、チームをつくろうと思ったのですか。

A:「会社の福利厚生の一環で、スポーツで会社を盛り上げながらやっていこうということで、サッカーチームをつくろうということになりました。2003年にできた理由は特別ありません。最初は、サッカー経験者や素人でも好きな人が集まって、市の4部からスタートしました。一番下からコツコツとやってここまできました。」

Q : この10年を振り返ってきつかったのはいつですか?

A:「私は4年前から関わっていますが、県リーグから地域リーグ、地域リーグからJFLまでのあいだは、環境整備を含めて大変でした。選手の補強も始めたのですが、県リーグで2年足踏みして、もう一歩というところで先に進めませんでした。そして、やっと3年目で地域リーグに上がれました。そこが、一番大変でした。そして、目標だったJFL昇格が達成できましたが、嬉しい半面、今まで企業の社員や選手があってのこのチームだと痛感しました。」

Q : 昨年JFLで初めて戦ってみていかがでしたか。

A:「今までと違って厳しい環境だと感じました。J2を目指しているプロチームもあれば、企業チームもあって、厳しいと思いました。」

Q : 今までで一番印象に残っている試合は?

A:「4年前に県リーグから地域リーグに昇格する大会の準決勝、勝てば昇格という鹿児島との試合です。0-1で負けていて残り5分で追いついて、PKまで行って勝ちました。あの試合は今でも忘れられません。」

Q : 今季が2年目のJFLですが、ここまでの戦いを振り返っていかがですか。

A:「1年目に苦労した分、選手にもスタッフにも経験があるので、自分たちでリーグをコントロールできているのかなと思います。成績も満足はしていませんが、昨年よりはスタートダッシュも決められかなと思っています。」

Q : 現在の大分でのHOYO大分の立ち位置はどう感じていますか?

A:「大分のサッカーが盛り上がっている要素として、大分トリニータがJの舞台で戦っている事もあります。HOYO大分は仕事をしながらのサッカーではありますが、自分達の立ち位置をはっきり自覚して、大分のサッカーを盛り上げるということで頑張れればと思います。」

Q : 夢は大分ダービーですか?

A:「僕自身も大分出身なので、是非、大分ダービーをしたいです。今のところは天皇杯しか可能性がありませんが、是非、大分ダービーを実現して盛り上げたいと思います。」

 天皇杯の都道府県予選と1回戦で勝てば、9月8日開催の2回戦で実現する「大分ダービー」。大分2番目のサッカーチームが地域にアピールする絶好のチャンスとなりそうです。

 さて、選手全員が会社に所属している社会人チームの「HOYO大分」。その、チーム作り。そして、鴨川強化部長にも迫ってみました。

Q : 選手のスカウティングはどのように行っていますか?

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大分県由布市上原サッカー場で練習するHOYO大分

A:「Jリーグを舞台にして活躍してきた選手は、サッカー専属でやってきたので、サッカーの厳しさや経験という部分を、チームにプレーという形で教えて欲しいというのがありスカウトしています。また、大学生(新卒)は、若い力を借りながら、仕事とサッカーを両立させられる環境を作っていきたいということがあります。その二つ(ベテランと新人)を融合するチーム編成を主眼においてスカウトを行っています。」

Q : 皆さん、社員なんですよね。

A:「今までサッカーだけをやってきた選手には、過酷な環境だとは思いますが、サッカー人生は決して長いとは言えないので、手に職というか、仕事をしながら頑張るという環境をしっかり作って、働きながらでもこれだけできるんだというものを、JFLの中で見せていきたいと思って頑張っています。」

Q : サッカー選手のセカンドキャリアの面も含めてこういう形でやっているのですか?

A:「大分、九州の選手に中心に来てやってもらっているので、自分もそうだったのですが、怪我で引退を考えた分、選手が現役で出来るうちは精一杯プレーできる環境を整えて、もし、怪我とか体力で限界が来た時は、次は仕事で頑張ってもらえるような環境を整えようと、HOYOでは考えてやっています。」

Q : 杉本恵太選手は鴨川さんが直々にスカウトされたのですか?

A:「杉本選手は私と名古屋時代の同期なので、是非とも力を貸して欲しいということでHOYOに来てもらいました。JリーグとJFLはちょっと違うとは思いますが、選手とクラブがいい関係を作れて、そこに企業がうまく絡めれば、とてもいいと思います。」

Q : このようなチーム形態を取るようになったのはいつですか?

A:「2009年からです。最初はスカウトしても相手にもしてくれませんでした。ただ、だんだんこちらの思いに選手も賛同してくれて、入ってくれるようになりました。今はその時の選手たちが中心となって、プレー以外でも引っ張ってくれています。仕事もしている分、一社会人として一人間としてもしっかりしている選手ばかりなので、ほかのチームにはない特異なところだと思います。」

Q : 企業型のチームですが、地域密着を目指しているそうですね。

A:「まだまだ出来ていないと思います。由布の温泉を含めたいいところに、うちのチームも絡めればいいと思います。温泉に来た時にうちのチームの試合を見てもらうということが出来ればいいのですが、由布ではグラウンドの関係で試合ができないので。集客も含めて地域にもっと貢献できればいいと思います。あとは、地域の子供達へのサッカー教室は力を込めてやっているので、もっと由布市でサッカーが盛んになってサッカー人口が増えれば嬉しいです。」

Q : 大分トリニータと比べて認知度は?

A:「“まだまだ”だと思います。(大分)トリニータはプロだけど、うちは企業チームなので、知っていただいているのは、取引先だったりとか、トリニータとはちょっと違った環境だと思います。」

Q : 大分のサッカー事情は?

A:「サッカーに限らず、大分はプロスポーツチームが多い県なので、スポーツに関しては好きな人が多い地域なのではないかと思います。トリニータもそうだが、頑張っているチームを応援する県民性というか、後押しをしてくれると思うので、うちも結果を残せるように頑張れば、県民に応援して頂けるようになるのではないかと思います。」

Q : 鴨川さんがサッカーに出会ったのはいつですか?

A:「小学校3年生です。私が通っていた境川小学校が、サッカーが盛んで、親に無理やり連れて行かれて始めました。それからサッカー一筋です。」

Q : それからHOYOに来るまでのサッカー人生は?

A:「自分自身の今があるのは、やはり大分という存在が大きかったと思います。指導者やいろいろな人との触れ合いで今があると思うので、怪我をした時も大分のために何かできないかと思っていました。名古屋を辞めたあと、数ヶ月間ですが、無給でもいいから大分に入りたいと練習生をやっていました。結局は、チームには入れず、他のチームに行きましたが、そのあと、HOYOというチームがあるのを知って、県リーグでしたが、力を入れて頑張っているのを見て、自分も地元のために頑張りたいと思って帰ってきました。」

Q : Jリーグの歴史ですよね。

A:「これだけたくさんのJリーグのチームが出来て、大分にもJリーグのチームとJFLのチームができた。それも、帰って来られたきっかけだと思います。」

Q : HOYO大分をどんなチームにしたいですか。

A:「魅力あるクラブ作りをしていきたいです。JリーグやJFLの他のクラブとも違った魅力あるクラブ作りが少しづつ出来てきていると思うので、今後、より一層、選手、クラブ、企業がいい関係を保てるようなクラブ作りをしていきたいです。」

Q : 最後にHOYO大分のアピールを!

A:「一番、見て欲しいところは、選手同士の仲の良さ、協力性です。ただ、サッカーだけで繋がっているわけではなく、朝から一緒に仕事して、食事もして、サッカーもしてという、みんながほとんど24時間一緒にいるというクラブなので、そういった中での意思の疎通だったり、選手間の信頼関係だったりを見て欲しいです。」

HOYO大分が目指すもの

~アマチュアナンバー1への挑戦~

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HOYO大分鴨川奨強化部長、選手達とスクール生