ハンドボールJHL

2014-11-28

ハンドボールを通じて社会を支える人材を育てる

 今シーズンの日本ハンドボールリーグが10月25日に開幕し、男女ともに熱い戦いが繰り広げられていますが、11月28日の時点で開幕から6連勝の快進撃を続けているのが、トヨタ車体ブレイブキングスと大崎電気オーソルです。

 今回は、今年7月に全日本社会人選手権で初優勝し、波に乗るトヨタ車体ブレイブキングスの酒巻清治監督にお話を伺いました。現役時代は湧永製薬ハンドボール部(ワクナガレオリック)でプレーし、日本代表としても活躍。引退後は湧永製薬で監督、2005年トヨタ車体の監督に就任、2008年~2012年まで日本代表チームの監督も務められています。

 2020年東京五輪を見据え、リーグのみならず、世界における日本のハンドボールはどうあるべきか、熱い思いを語って頂きました。

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★ 連勝の秘密は若手選手にあり!

 通常シーズン前はフィジカル中心の時期で、ハンドボールの細かい戦術などはやらないんですが、7月に全日本社会人選手権、10月に長崎国体があったので、今年は様を変えてトレーニングとゲームの繰り返しをやってきました。結果、社会人で優勝、国体で準優勝しました。8月に国体予選がありベテラン選手は体力的に辛くなるので、とにかく若手の底上げを主にやって来たんですが、津屋(大将)、笠原(謙哉)といった若手がいま非常に良いんですよ。国体の1週間後にリーグがスタートしたにもかかわらず、大事な局面でも若手が動ける、良い状態でスタートできています。ベテランに多少プレッシャーもかけられますし、チーム内の力のバランスが拮抗して来ています。

 私は「セカンドメンバー」という言い方はあまりしたくないです。常にベンチ入りした16人が全員稼動できるような構成をしています。それでも、実力はあるのにこれまでなかなか出して上げられなかった選手がいたんですが、そんな彼らが今シーズンは試合に出て活躍をしているわけで、それが開幕の連勝につながっています。職場の人たちも彼らが試合に出る事で自然と応援に熱が入ります。うちのチームの見所はまさにその点ですね。

★ 怖い先輩がいたから ハンドボールに出会えた?

 

 私がハンドボールを始めたのは中学校1年の時です。それまでハンドボールなんて聞いた事もなかったんですが、まだできたばかりで先輩がいないと聞いてハンドボール部に入ったんです。1年上にちょっと怖い先輩たちがいて、そういう先輩がいたらうっとうしいなと思って(笑)。ハンドボール部の先生は名古屋でハンドボールを広めた方で、細かい指導はありませんでしたが、とにかくゴールに向かってシュートを打て、プレーで嘘をつくな、という指導を受けました。

 小学校の時は相撲、野球、サッカー、陸上をやっていて、身体が大きくて頑丈だったんですよ。だから目立ったんでしょうね。愛知高校には推薦で入れてもらいました。愛知高校は県大会で一回だけ優勝しましたが、私は全国大会に出た事がありません。

 体育の先生になりたいと漠然と思っていたので、高校卒業後は声をかけてくれた中京大学に進みました。中京大学もインカレでベスト8レベル、リーグ戦も勝ったのは4年間で2、3回、西日本でもベスト4止まりでしたが、1年生の時から点を取る強引なプレーをしていたので目立っていたのだと思います。ロス五輪の壮行試合が東京であって、学生代表選手として日本代表と対決したんですが、私は7点ぐらい取ったんですよ。それを機に、卒業後は湧永製薬に入社しました。

 湧永(ワクナガレオリック)は厳しかったですが、ハンドボールに没頭できました。会社が中国山地の山の中でしたしね。5時半まで仕事して、夜は近くのエアコンもない中学の体育館で練習していました。冬は脱いだシャツが凍るぐらい寒かったです。当時は代表選手も併行してやっていましたが、日本で勝つことしか頭になかったですね。アジアの中でどう勝つかという考えすらありませんでした。

 

★ 自分を変えたドイツでの1年

 1985年10月から1年間、湧永からドイツ・ブンデス2部リーグにハンドボール留学しました。今でも湧永にはそのシステムがあるんですが、派遣されるはずだった選手が行けなくなり、「じゃあ酒巻」と私に回って来たんです。英語もドイツ語もできない、パスポートも持っていない奴が突然ドイツですよ。大変でした。最初の1ヶ月は身振り手振りで。でも語学学校に通って勉強し、チームメイトやホームステイ先のファミリーのドイツ語にどっぷり浸っていたら、1ヶ月後、突然ドイツ語がわかるようになったんですよ。耳はすぐに慣れるんだなと思いました。

 そこからは早かったです。一人で生活できるようになり、コミュニケーションが取れるようになりました。それに、ヴィースバーデンという小さな街のチームでしたから、新聞に試合のことが載るんですよ。だから街を歩いていると”Kiyo! Gutes Spiel!”(良いプレーだったよ)と声をかけられるんです。これだけ人の目があるんだから、おかしなことはできない、プレーヤーとしての責任を感じました。

 そんな環境のおかげで社会性が高まったと思いますし、何よりも、外国人コンプレックスがまったくなくなりました。帰国して代表チームに復帰してからは、海外の選手との合宿や遠征があるとワクワクしました。ドイツ語を覚えたせいで英語もすぐにできるようになりましたから、外国人選手やオーレ・オルソン監督(※1995〜97年全日本監督)とコミュニケーションが十分にとれたし、おかげで2004年に湧永をやめて1年間スウェーデンでコーチングを学ぶこともできました。ドイツでの経験がなかったら絶対にありえなかったです。

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 ★ 指導者も学び続けることが必要

 選手の時から、なんとなくですが指導者志向はありました。自分だったらこうするだろうな、と。指導者になってからはオーレ・オルソン監督他多くの国内外の指導者や選手たちから多くを学びました。オルソン監督は私が日本で経験したことのないスキルを持っていました。プレーの映像を見て、選手が頭で理解する、という方法の準備を毎回自分でする、フィジカルテストのデータは全部蓄積する、それが財産になるんです。

 選手の育成はもちろんですが、指導者養成の必要はいつも感じています。他の方法を知らないから負の連鎖が起きてしまうんです。「学ぶことを止めたら教えることを辞めなければならない。」という言葉がありますが、ハンドボールに限らずすべての競技で、より良い方法は見習うべきだと思います。

 

 私は2年前から、愛知県の協会主催の指導者講習会で指導を行っています。1年に1度、3日間ぐらいかけて、スポーツマンシップの講習やドーピングなどのテーマで座学とコートの両方で行います。対象は、学校の先生や、大学院で指導に携わっている方たちです。しかし大切なのはそれを日々にどう活かすかです。「これをやれ」というと強制になるから私は言いませんが。

 

★ 2020年を見据えて 選手をいかに育てるか

  昨年、味の素ナショナルトレーニングセンターでJTLのセカンドキャリア研修を行いましたが、今年はスポーツマンシップの講習を2回行いました。本当は継続的にそうした研修を実施したいんですが、選手には仕事がありますし、代表の選手が抜けることもあるので、なかなか難しいのが現状です。

 うちは企業チームで年齢層に幅があるので、どうしても縦関係が強くなってしまうんです。ですから昨年のワークショップでは、一時ベテランと若手のコミュニケーションが取れたようですが、すぐに元に戻ってしまいました。思ったことを的確に発言できるコミュニケーション力が必要なのです。いまは発言力はもちろん、起承転結、5W1Hも上手くはありません。それに、選手自らが自分自身に蓋をしていることに気づいていないんです。自分で考えて、目標を立てる、そして行動する、それを繰り返しておかなければ、海外のトッププレーヤーには全く太刀打ちできません。

 私はコートではかなり厳しい事も言いますよ。ただし、強制的なことではなく、事実を言います。例えば、選手が嘘のパフォーマンスをするとすぐにわかるので、途中で指摘します。すると、選手の中には不満げな態度を示す者もいます。「蓋をしてしまっている」という部分の一部ですが、オープンマインドにならない選手が非常に多いんです。自分にチャレンジする経験が少なく、トップを見て考える選手が少ない。日本でトップならいい、と思っています。

 いまやらなければならないことは、こうした今の現役選手を徹底的に強化することです。2020年のターゲットエイジは彼らを見て超えようと思うでしょう。上をもっと上げれば、下はついてきます。選手が達成感いっぱいでやめるのと、そうでないのとでは、その後に影響します。そのためにもやはり、選手の育成と指導者の養成は不可欠です。

 それから、マイケル・チャンコーチが錦織選手を鍛えたように、フィジカルの強化と基本スキルの反復練習が必要です。私たちも取り組み始めていますが、これは全競技に共通することです。北京五輪の前に、JOCの福田副会長(当時)が五輪まであと1、2ヶ月しかないのに「体力を上げろ」と言われました。今さら、と思いましたが、確かに、日本選手に足りないのは体力(なぜ必要なのか理解しておかなければなりませんが)なんです。フィジカルがアップすると正確なスキルが身に付いて勝ちにつながります。

 

 代表チームだけではなく、学校や各チームでもそれを行う必要があります。日本代表チームが国際舞台で勝利するということは、日本の総合力で勝つ、日本中の皆さんで選手を鍛える・育てるということなんです。監督が変わろうがスタイルが変わろうが、大事なのは戦術よりも選手、個人の力です。個人の能力を上げる必要があります。選手育成をきちんとやれば2020年までに結果は出ると思いますよ。

★ 今後のスポーツ界はどうあるべきか

 まず問わなければいけないのは、選手の育成をするのに、それに携わる指導者がしっかりと「実力」をつけること。ただヤミクモに選手をしごけばいいと思っていないか、良い選手をしごいて終わっていないか。そして、良い選手を強化する時に、選手自身が自分は何をやりたいのか、何を目的として今後選手としてやっていきたいのか。それを選手は自分で持っていなければなりません。「こうしたい」という考えを持っている者を見落とすと、その競技の「国力」は上がりませんし、魅力のあるスポーツと捉えられなくなります。そのあたりを競技団体やら携わる人たちは考えなければなりません。ただし結果は現場次第。出た結果に対してはシステムや協会の責任だけを言及するのではなく、真摯に現状を見つめることが大切でしょう。

 日本においては、個人に目を向けさせない事で、本当に大事なことが曖昧になってしまっているように思います。現実に向き合っていないんですね。海外の強豪国の選手は勝つ事しか考えていませんが、日本の選手は負けることを考える、リスクを冒さないことで引いてしまいがちです。今やっていることに対して、自分で何か発言すればやらなければいけない、そんな方向に追い込んでいっているような気がします。

 ヨーロッパでは小学校の時から、ディベートを行うなど、言語能力をアップさせる教育が行われています。それに対し、日本では怒られたら謝る、極端に言えば、口答え禁止という土壌があります。例えば「なんでそこでパスを出したんだ!」と問うと、選手は「なぜならば」ではなく「はい、すみません」と答えます。しごかれないようにあえて勝負しない、早く終わらせてその場を収めたい、そんな心理が働くのでしょう。しかしヨーロッパの場合、その競技がやりたくて自分からクラブに入って来ているので、うまくなりたいという欲があり、日本とは集中力に差があります。目標があるかないかで本当に大きな差が出てしまうんです。2020年までにその差をどう埋めるか、そして2021年以降どうするか、それが課題だと思います。

 例えば、選手のカルテを作ることが必要だと私は考えています。選手の記憶だけに頼るのは無理ですから、練習メニューやフィジカルデータを蓄積して、それを見れば選手のことがすぐにわかるようにしておく。こうした、データの蓄積と活用によって戦い方が変わって来るかもしれません。これは選手個人でもできることです。

 日本の教育を変える事は私にはできませんが、ハンドボールを通じて、選手たちが社会人としてしっかり生きて行く、その準備だけはしておきたいです。選手たちには、競技で達成感を持ち、幸せになって、引退後もその競技をずっとサポートして欲しい。トヨタ車体を支える人材を現役の時から育てなければいけないわけです。いま国としても、スポーツ庁の設置が検討されているように、日本におけるスポーツの必要性を認めているわけですが、それは日本を支える人材が必要だからです。会社も国も支えていくのは今の若者たち。同じことです。

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* 酒巻清治監督 プロフィール

1962年愛知県名古屋市生まれ。中学よりハンドボールを始める。1985年湧永製薬に入社、同年日本代表に選出される。以後1991年まで日本代表選手としてアジア選手権、アジア大会、世界選手権に出場。並行して1985年10月、湧永製薬よりドイツ・ブンデス2部リーグにハンドボール留学。1994年現役引退し、湧永製薬の監督に就任。1996年から2000年まで日本代表コーチを務め、1997年の世界選手権熊本大会でもコーチングを担当。2004年湧永製薬を退社し、家族とともにスウェーデン・マルメに居を移し、ブンデスリーガ・SGフレンスブルクやスカンジナビアの各国をめぐり独自でコーチング術を研修。2005年、トヨタ車体の監督に就任。現在に至る。

*トヨタ車体ブレイブキングス ホームページ

 

*日本ハンドボールリーグ 公式サイト