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2014-12-18

『パコ・ヘメス監督から学ぶスペインの“混沌の哲学”』

パコ・ヘメス監督から学ぶスペインの“混沌の哲学”

 世界最高峰のサッカーリーグを擁するスペイン、その1部で奮闘するラジョ・バジェカーノというクラブを率いるパコ・ヘメス監督をご存知だろうか?本名はFrancisco Jémez Martín(フランシスコ・ヘメス・マルティン)、パルマ島出身の元プロサッカー選手あがりの新鋭監督だ。プロのサッカー選手としては、スペイン1部のデポルティーボ・ラ・コルーニャやサラゴサなどでも活躍した経験がある。1998年には対ロシア戦で、スペイン代表としてもデビューを果たし、2000年にはサッカースペイン代表として欧州選手権にも参加した経歴を擁している。パコ氏は2007年より指導者としての挑戦を決めるが、現在に至り厳しい環境を生き抜くタフな人材だ。

 さてパコ・ヘメス監督が率いるラジョ・バジェカーノというクラブだが、経済的には非常に乏しい状況にある。スペインリーグでも最も財政の厳しい、倒産ぎりぎりのクラブとしても知られている。ラジョのトップチームの年間予算は、強豪バルセロナFCのネイマール選手1人の年俸に満たない。その事実が苦しいラジョの財政状況を示している。それでもパコ氏の率いるラジョは、世界最高峰のリーグで闘うための個性と哲学を持っているクラブとしてスペイン国外などでも注目を集めている。

 現役時代は屈強な守備の選手だったパコ・ヘメスだが、監督としてはコンパクトに集団攻撃を展開するアイデアでも知られている。攻撃的なサッカーやその哲学は、世界中の人々を魅了する要素を秘めている。現在のラジョ・バジェカーノだが、パコ監督の存在なくしては、この競争環境を生き抜くことは不可能だ。今回のコラムでは、現代スペインサッカーでも斬新的な監督と称されるこのパコ・ヘメス監督の哲学を学んでみよう。

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『チームは徹底的に練習するより、まず戦術を信じること』

 パコ・ヘメス監督が率いるチームでは、普段は引きこもりがちなゴールキーパーでさえも積極的にエリアを飛び出して勇敢なプレーを見せる。また選手達は強豪相手にも全く恐れることなく、果敢にチャレンジする。どうしてそのような大きな変化が起こったのか?多くの人々がパコ氏がどんなマジックを仕掛けるか問いただす。同監督が短期間で選手の技術動作に大きな変化を与えることは、確かに冷静に考えれば不可能である。パコ氏は選手のメンタル的な心構えが大切だと主張している。

 『新しい技術を教えることが不可能でも、戦術やコンセプトを教え込むことは可能だ。戦術を信じれば、難しそうなプレーでも選手はやってのける』

 これがパコ氏が信念を代表する言葉だ。まずはコンセプトを信じることで、より明確なプレーが可能となる。パコ氏はチーム形成において、まずは戦術理解を共有させ、全員にそれを信じさせることを第一課題としている。クラブの哲学は全員が信じる。意思統一にほころびがあれば、悲惨な状況に陥ってしまう。

 フットボールの指導者として、選手全員にチームの哲学を伝え実行させることは、非常に大切な義務だ。もし仮に、ある選手にゲーム哲学や戦術を説得できないのに彼を起用し続けるとすれば、それは大きな問題に発展するだろう。チームの7割がある特定の方法でプレーするが、残りの3割が異なった方法を信じてしまうと全てが破壊されてしまう。簡単な例を挙げれば、チームの7人がプレスをかけているのに、残りの3人はただ傍観する状況だ。もしもクラブの哲学や戦術に全員が同意できないならば、消極的なメソッドに立ち帰ることになる。その場合、全員がプレスを放棄して撤退する守備を自動的に行なうという退化をみることになる。

『毎年1000種類のトレーニングを計画する』

 パコ・ヘメス監督もそうであるように、ボールスポーツに携わる多くのスペイン人指導者は、可能な限り毎回のトレーニングに豊富なメニューのバリエーションを用意する努力をしている。トレーニングにバリエーションを与える目的としては、①選手の心理的疲労を避けること、②戦術的な対応力を高めること・・・などがある。選手のモチベーションを保つための最高のメソッドは、論理だった練習メニューのバリエーションでもある。パコ氏は毎年300回のトレーニングセッションに、異なる3~4つの練習メニューを用意している。パコ氏のようなエリート監督は、毎年1000種類以上のトレーニングを準備する計算になる。

 またスペインリーグ1部のようなエリートレベルになれば、全てのトレーニングが次の試合に想定される戦術状況の再現トレーニングともなる。対戦相手の特徴を見極めて、戦術的、技術的、心理的な準備を行なうというプロセスをトレーニングに組み込んでいる。最後の試合、前回のトレーニングにおける課題点なども、同様にトレーニングの中で処理することが理想だ。毎回のトレーニング、試合、その全てが繋がったサイクルになってこそチームは成長する。プロフェッショナルの練習環境では、年間に300回のトレーニングセッションをこなしていく。たとえば毎日3~4種類の異なるメニューを実行すれば、年間で900~1200種類のトレーニングを選手達は体験することになる。そしてそのトレーニングメニューの全てが、論理的に考え尽くされている。そのようなトレーニングを実現するのも、ボールスポーツに携わる指導者のミッションである。

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『日頃から選手に考えながらプレーする習慣を迫る』

フットボールなどの競技には、プロフェショナルの環境でもまだまだインテリジェンスを駆使する余地が残されている。特に戦術局面では、多くの課題に取り組むことが可能だ。パコ氏がここで強調するのは、何よりもまずは『戦術的に選手を成長させる』という課題だ。指導者は正しい技術練習、間違った技術練習などを討論しても日が暮れるだけだ。『もっとも大切なのは、選手に戦術思考を迫るトレーニングを常に提供すること』。選手をインテリジェントに育てるには、そのようなトレーニングを繰りかえすことが最短の方法論だ。選手が常に思考を絶やさないためのトレーニングとは、どのようにして計画が可能だろうか?

『選手の戦術インテリジェンスを促すための大原則』
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①新しいゲーム形式のトレーニングを導入する

②新しいルールや約束事をゲームに加える

③短い時間で集中して、競争させるようにする

 チームに新しいトレーニングを導入すると、選手はあっという間に集中力を切らしてしまう。初めてのトレーニングでは、ある程度辛抱強く選手が慣れるまで待つことが望ましい。3回ぐらい同じ種類のトレーニング構造を体験すれば、選手はゲームの流れを理解できる。ある程度リズムがつかめたら、段階的に難しいトレーニング要素を追加していく。選手のインテリジェンスや戦術的な幅を広げるための発展型トレーニングが期待できる。ルールの追加などを通して、選手のインテリジェンスを進化させることも可能だ。

『最悪の決断、それは何も決断しないこと』

 ボールスポーツとは攻守の切り替え、ロールチェンジが断続的に続くスポーツだ。多くのトレーニングメニューで、指導者はロールチェンジ、状況決断という要素を練習に組み込む必要がある。トランジッションというボールを失った瞬間、または奪い返した瞬間の局面切り替え、その局面をいかに素早く処理できるかも大きなポイントだ。このロールチェンジは限りなく素早いスピードで行なうこと。トレーニングでは狭いスペースの中で、可能な限りこの切り替えのスピードを上げて、より多くの決断の必要性を作りだす。そのスピードとインテンシティーの中で、選手達は絶え間ない知覚・決断・実行を繰りかえすことを習得する。

 『最悪の決断、それは何も決断しないこと』スペインの多くの指導者が口にする言葉である。仮に決断の結果が失敗だったとしても、その次の瞬間には、エラーを修正するための新しい決断を下せばいい。最も大切なのは、選手が勇敢に決断できるようなトレーニングを提供することだ。

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『攻撃側に守備が合わせるか、守備に攻撃が合わせるか』

 フットボールというスポーツでは、攻撃側に守備の選手が合わせてポジションをとる伝統傾向が存在した。例えば攻撃側のFW(フォーワード)の選手がポジションを深くとれば、守備の選手も暗黙のうちに守備ラインを下げることが従来では常識とされてきた。攻撃が守備を強制する。この常識は今や打ち破られようとしている。フットボールの進化を考えれば、時代の変化は当然でもある。パコ・ヘメス監督のラジョでの快挙と成功は、このアグレッシブな守備の姿勢に深く影響されている。例を挙げれば、FWが深い位置にポジションをとってきたら、守備のポジションを下げるのではなく、素早くそのパスの供給源をプレスするというアグレッシブな考え方だ。守備が主導権を握ることで、予算の少ない弱小チームはビッグクラブに対抗することが可能となる。

 パコ氏のような指導者が目指すべきものは、守備が攻撃に変化を強制するモデルである。攻撃に対して、簡単に守備ラインを下げれば、攻撃と守備は数的同数のまま局面を続ける。しかし守備ラインをアグレッシブに押し上げれば、守備は攻撃に対して数的有利の状態で局面を展開できるという理論である。この守備ラインの押し上げ、または積極的なボールへプレスのための移動は、素早くそして勇敢に実行することが絶対条件となる。あまりにも動き出しが遅ければ、スペースと時間を与えてしまい、攻撃側にアドバンテージを与えることになる。

『強いチームは形を崩しながらも、秩序を保ち攻撃する』

 強いチームとは攻撃の際に自由に形を崩しながらも、ある法則や秩序を守ることのできるチームだ。守備側にその形の崩れを利用されない術を知っているチーム、それを強者と定義できる。仮に全てが整った形でプレーすることならば、どうやって守備側に対してサプライズを与えることができるか?1対1などの個人スキルでライバルとの差をつけることになる。しかしチームとして形を整えながら、連動したチームワークでライバルを驚かせることは非常に困難な現象となる。

 相手を驚かせるためのアクションをとる。相手の長所を封じるためにカバーリングなどのアクションを起こす。対戦相手のゾーンを陥れるために、勇敢に攻撃参加する・・・形を崩す。強者はそこに生じるアンバランスの埋め方を知っている。そのバランス取りの動きが、攻撃の秩序である。もっとも危険(ゴールまたはボール)から遠い場所の選手が、そのような秩序を修復する動きをとることが安全な方法である。

 攻撃側は形を崩しながらも、バランス、秩序、約束ごとを守る・・・それが本当の整った攻撃の本質だ。繰り返しになるが、ボールに対するサポートを合理的に行なう際、完璧に整った形で攻撃することは不可能だ。また仮に整った過程では、相手の守備を驚かせることも難しい。

『恐れては凡人。恐れる選手は平凡な選手』

 サッカーでサイドバックが攻撃参加するシーンを考えて欲しい。守備の選手が攻撃参加するということは、誰かがそのスペースを埋めるということを意味している。ボールスポーツの性質を考えれば、攻撃、守備にわたり常にスペースを掌握して前進するというコンセプトを大切にしたい。攻撃参加、守備の体系もそうだが、できれば後ろより前に攻める姿勢を保ちたい。前がかりに行動する勇敢さは非常に大切で、タレントのある選手でも恐れやためらいから、平凡な選手に終わるケースがスペインでは多く見られる。

 攻撃参加にあがった守備の選手は、守備のことを忘れることが必要だ。どのスポーツでも同じだが、相手が後手に回る(受身の状態になる)ように強要することがポイントとなる。守備の選手がポジションを捨てて攻撃参加する場合、守備ポジションのことや崩れたバランスなどを考える必要はない。ポジションのバランス取りは、その他の選手が行なうミッションだ。

 『攻撃するなら最大限に攻撃に集中するべき。“ボールを失ったら走って戻らなければ・・・”などと考えなくていい。攻撃参加した守備の選手のバランスは、後方の選手達が補っているからだ』

<スペースを埋めるのは集団責任、攻撃参加は迷わずに行なうこと>
『引き分けはいらない、勝負は勝つためにある』

 パコ・ヘメス監督が選手によく繰りかえすのが、引き分けという結果は意味がないという哲学だ。パコ氏は引き分けという結果を、敗北よりもネガティブなものとして位置づけている。ラジョは昨季シーズンでは4試合を引き分けている。ちなみに2年前のシーズンでは3試合を引き分けた。冷静に考えてみよう。計算によれば、もし仮にラジョが1年のシーズンで12回引き分ければ、それは自動降格を意味することになる。例えば、12試合を引き分けたと仮定する。残りの26試合で、ラジョは最低でも10~12試合は勝たなければ残留が厳しい状況に置かれてしまう。

 予算の厳しいラジョのような小さなクラブにとって、スペイン1部リーグの強豪を相手に10~12試合を勝利するというのは困難な数字だ。引き分けという結果に甘んじては、小さなクラブはすぐに降格や成績不振に陥ってしまう。アグレッシブに勝利を目指すクラブを作りあげることをパコ氏は理想にしている。そんなパコ氏の玉砕魂とフットボール哲学が、サポーターや選手のハートを勝ち取り、今あるラジョ・バジェカーノの快進撃を可能にしているのかも知れない。