スポーツの書棚~JTL Book Review一覧

2014-11-6

「身体の近代化」  ースポーツ史からみた国家・メディア・身体ー

bookrev05  著者はスポーツ史学会に所属する大学教授である。序文に「スポーツ史とは、スポーツ文化の『現在』を知ることであり、そのための重要な手がかりを提供する学問分野の一つである」とあり、この本では日本人の身体がどのようにして近代の社会システムに順応するように作り変えられてきたかをスポーツ史の視点から検討している。学術論文を書籍にしたものだけに内容は少し硬いが、興味を引きそうな部分を抜粋して紹介しよう。

 著者はかつて教鞭をとったフィリピン国立レイテ師範大学での経験から疑問を説き起こしている。体育の授業で、整列できない、まっすぐ走れない、ボールが投げられない大学生がほとんどだった。日本で小学生が当たり前にできることが、実は「世界共通」ではないことを知った。そして研究の結果、日本人も明治の近代化に合わせて身体を近代化し作りかえられてきたことをこの本は語る。

 たとえば、日本人古来の歩き方はナンバ歩きだった。右手と右足、左手と左足をそれぞれそろえて歩く動作で、江戸時代の飛脚は1日100キロもの距離を走ったという。しかし明治の日本人はナンバを捨てて、外国にならって近代的に歩くようになった。理由は「ナンバ歩きは整列行進にむかない」「戦闘に必要な機敏な動作にもむかない」から。つまり兵式体操が日本人の身体を変えたひとつの例である。兵式体操というのは明治時代の小学校体育授業で取り入れられたもので、「気をつけ」「休め」などの整頓の仕方や行進の方法を教えた。今の小学校でも続いているのだろうか。太平洋戦争後生まれのわれわれの世代は明治時代から伝わる方法で習っていたことをこの本で知った。

 小学校の体操が正課科目になったのは1900年(明治33)。時代の要請で体育が重視されるようになっていた。この年、大陸で起こった北清(ほくしん)事変に出兵した日本は欧州各国の外国軍との共同作戦を通じて、兵士としての日本人の身体的劣悪を強く知ることになった。このため、国は体格、体力向上を目指す国民体育に関心をもち、小学校の体育と兵役とを結びつけ、男子は5年生から兵式体操を習うことになったのである。

 福沢諭吉も富国強兵、殖産振興の基礎として体育を重視した一人だが、日清戦争(1894年)を経験して、日本人には耐久力を養成することが必要だと判断。自ら創刊した時事新報社が主催して「12時間の長距離競走」を開催する。欧米兵士の強靭な身体に追いつくため、当時西洋で行われていた「全6日144時間競走」ならって、社告で12時間競走参加者を募ったところ15人が応募、9人が完走したそうだ。これは日本のメディアによるスポーツイベントの幕開けで、その後新聞社主催のスポーツ事業は増加の一途をたどるほか、少年雑誌が子供たちの意識改革に大きな役割を担っていたという。

 南下政策をとるロシアをはじめ列強に植民地化される恐怖と闘っていた明治の人々。急速な近代化を進めるなかで、「身ノ丈ケ五尺一寸(154.5㎝)」以上(当時の日本人の体格からみて高水準)の常備兵をつくるために国民の身体そのものまで近代化してきたのである。  (了)

渡部 節郎さんはスポーツジャーナリストOBによる社会貢献グループ「エスジョブ」に参加されています。

S-JOB(エスジョブ)公式サイト