日本トップリーグ連携機構(JTL)審判プロジェクト 審判員活動PR企画【第12回】
JTL審判プロジェクトでは、これまでに審判長会議や審判研修会の開催、関係省庁への働きかけなどを通じて審判員の方々の課題解決に取り組んできました。
現在も各競技で多くの審判員が活動していますが、昨今判定の正確性やそれに伴う審判員の重圧が大きくなる中、その環境面、待遇面などでは改善の余地が多く残されているのが現状でその実態はあまり知られているとは言えません。そこでJTLに加盟する各リーグの第一線で活躍する審判員の方にインタビューし、皆様のストーリーをご紹介する連載企画を行っています。
一人でも多くの方にお読み頂ければ幸いです。
第12回の審判員インタビューは、Jリーグや天皇杯の審判員をされている中村太さん(プロフェッショナルレフェリー)です。
審判員インタビュー 第12回
聞き手:備前嘉文(JTL審判プロジェクトメンバー、國學院大學准教授)
Jリーグの発展とともに過ごした青春時代
――サッカーを始めたきっかけについて教えてください。
中村:私は埼玉県で生まれ育って、もともとサッカーが盛んな場所だったので子どもの頃からプレーしていました。そして、中学校に入る時にサッカーかバレーボールか迷ったのですが、ちょうどJリーグが始まった時でもあったので、そこから高校、大学とずっとサッカー一筋でやってきました。バレーボール部にも体験入部で行ったのですが、最初の練習でほとんどの指を突き指して、「これはもうサッカーだな」と思いました(笑)
――Jリーグが始まって日本のサッカーも大きく変わったと思いますが、サッカーの魅力とは何でしょうか?
中村:いろいろなボールゲームの競技に共通していることだと思うのですが、やはり仲間がいて、チームメイトと連携しながら何かをしていくという楽しさは、私がサッカーをしていて一番好きなところです。それにプラスして、手よりも足という、より動かしづらい身体の部位を使ってボールを運ぶところもサッカーの面白さではないかなと思います。
――競技はいつまで現役を続けられたのですか?
中村:大学を卒業して、現在のヴァンフォーレ甲府に練習生として行かせていただいたりもしたのですが、残念ながら契約に至らず・・そこでプレーヤーとしては終わりで、引退という形になりました。
プレーヤーを引退後、高校の教員に
――その後、埼玉県の方で永らく教員をされていましたが、なぜ教員になろうと思われたのでしょうか?
中村:現役を終えて、サッカーに関わって生きていきたいという希望はありました。そして、身体を動かすのがもともと好きだったので、身体を動かしながら出来る仕事ということで、教員と消防士と警察官が候補にありました。その中で、最終的に選んだのが教員ということになります。
――なぜ最終的に教員を選ばれたのでしょうか?
中村:カッコよく言えば、今まで私はサッカーを通じていろいろなことを学ばせてもらったので、同じような経験を今度は子どもたちにしてもらいたいと思ったからです。そのためには、学校の先生が一番近いかなと思ったのが理由です。その時はまだ審判ではなく、指導者としてサッカーに関わっていました。
――審判の活動はどのようなきっかけで始められたのでしょうか?
中村:たまたま赴任した学校のサッカー部の正顧問の方がその時の埼玉県の審判委員長をされていて、その先生に「審判をやってみないか?」と声を掛けていただいたのがきっかけです。その時は、指導者をやりながら審判もやってみようかなという気持ちでした。
――そこから上級の審判ライセンスを取られて、現在Jリーグでご活躍されているわけなのですが、トップレベルを目指してみようと思われた理由を教えてください。
中村:今までいろいろな方に支えられてサッカーをやれてこられたので、一番はその方々への恩返しという気持ちが大きいです。
――実際に審判をやってみて、プレーヤーでの関わりと違うと思ったところはありますか?
中村:全然違いました。選手目線の時は、私は身体が大きかったのでどうしてもファウルをしがちな選手でした。なので、審判にとっては扱いづらかったと思うし、私自身も審判をうるさい存在と思っていました。それが審判側に立ってみて、「あ~厄介な選手だったんだな・・」と気づきました。反省というか、迷惑掛けたな・・という感情はありました。
――高校の選手権やJリーグの試合など、幅広い年代の試合で審判をされていますが、年代によって変えられていることはありますか?
中村:あまり年代や相手によって意識を変えるということはないです。選手もピッチに立ったら年齢は関係ないと思ってプレーしていると思うので、こちらも年代問わず相手の意見も聞きつつ、どうやってこちらの意見を理解してもらえるかを考えながら審判をしています。
終電で帰宅して、始発で次の試合会場に行くことも
――教員をされていた時は、仕事と審判活動の両立はどうでしたか?
中村:身体を動かすという意味では、生徒たちと一緒に走ったり、筋トレしたり出来たので、他の職業に比べたら恵まれていたと思います。ただ、やはり試合に行くとなれば遠方の時もありますので、子どもたちや職場の方たちの理解がなかったら出来なかったです。
――職場の方たちは審判活動に理解はありましたか?
中村:本当にありがたいことに、どの学校でも応援してくださって、審判活動のことに興味を示してくださいました。同僚の方の多くも体育の先生で、ご自身も競技をされていた方が多かったので、スポーツへの理解はある職場でした。
――Jリーグの試合であれば平日に移動することもあったと思いますが、時間的な大変さはありましたか?
中村:その時は配慮していただいていたのか、平日に学校を休んで試合に行くということはありませんでした。しかし、部活動の顧問を担当していると、だいたい土・日どちらかに試合があったので、試合のスケジュールの調整をしたり、審判の活動が終わったら終電や次の日の始発で帰って試合会場に行くことはよくありました。また、高校の試合が終わってからすぐ審判を担当する試合の会場に行くという逆のパターンもありました。
――審判活動に対するご家族の理解はどうでしょうか?
中村:もともと教員で安定した立場からプロになるということで、妻の後押しというか応援がなければ出来なかったと思います。そういう意味では本当に感謝しています。娘が二人いるのですが、良くも悪くもサッカーに興味がないので、審判の活動で何かあっても我が家に持ち込まなくていいので、いい意味で家ではリフレッシュできます(笑)
――部活動の指導者は家族と過ごす時間が取れないとよく言われますが、中村さんはどのように家族と過ごす時間を作っていましたか?
中村:そうですね、なかなか難しかったです。しかし、ちょうど学校の教員の勤務体系を見直すといった世の中の風潮で、週末も土日のどちらか一日は休みにすることや、週に一日は休養日にするということもあったので、部活が休みの日は出来るだけ早く家に帰って家族と過ごすようにしていました。そういう形で穴埋めをさせてもらっていました(苦笑)
周囲も驚いたプロ審判への転向
――2022年4月からプロフェッショナルレフェリーとして活動されていますが、プロの審判になられた経緯について教えてください。
中村:ずっと高校の教員をやっていて、最後の5年間は行政職として埼玉県庁の方で働かせていただきました。県庁で4年か5年勤めたあとは、教頭(管理職)として学校の現場に戻る予定だったのですが、そのような立場になればなかなか審判としての活動は難しくなります。日本サッカー協会には日頃から様々な相談に乗っていただいていて、教員の管理職になるか、審判を続けるかとなった時に、ありがたいことにプロの審判員として活動をするお話をいただきました。
――プロになることに対して、ご家族には相談されましたか?
中村:そうですね、何事も妻と相談しながらやってきたので、プロになることに関しても相談はしましたが、「あなたがやりたいのであればやるべきだ」と言ってくれました。実際、自分がやりたいことと、家族の生活を天秤にかけて考えたりもしましたが、そのように快く言ってもらえて感動しました。
――公務員からプロへと、新しい世界に飛び出すことに対して不安はなかったですか?
中村:これまでに一度、教員から行政職への全く異なる職場に移った経験があるので、転職に関してはそこまで不安はなかったです。周りの方はびっくりされる人も多かったです。皆さん好意的に「公務員を辞めて大丈夫??」と心配してくれました(笑)しかし、多くの方が新しい挑戦に対して応援してくれました。
――実際に1年間プロの審判として活動されての感想を教えてください。
中村:一番は本当に毎日幸せです!今までは仕事があって、空き時間にトレーニングをして、勉強してと、時間をやりくりする必要がありました。しかし、今は審判として研鑽を積む時間を中心に生活を送ることができるので、とてもありがたいと本当に思いますね。今までは限られた時間の中でトレーニングをしていたのですが、今は逆に「どこまでやれば十分か?」と迷うことや、「もっとやらなければいけないのでは?」と不安になることもあります。
――プロになられて生活パターンが大きく変わられたとのことですが、今はどのようなスケジュールで過ごされているのですか?
中村:午前中はジムでトレーニングをして、その後はグラウンドでスプリント系のトレーニングをしています。そして、午後は基本的に自宅で映像を見ながら勉強したり分析したりしています。試合がある前は少しメニューを軽くする時もありますが、基本的に毎日同じようなスケジュールで過ごしています。
――今とても充実された生活を送られているとのことですが、審判のやりがいや、審判をやっていてよかったことは何でしょうか?
中村:やはり審判の仲間が全国に出来たことです。審判同士は仲間意識が強く、そのような方々と出会えて、話が出来るということは審判をしていて一番よかったと思います。あとは、Jリーグという興行を行うにあたってはいろいろな方が関わっていますが、選手と一緒にピッチに立てるのは審判だけなのでありがたいと思います。
――今、いろいろな競技で審判のプロ化が進みつつありますが、審判のプロ化についてはどう思われますか?
中村:教員をしながら審判をしていた時は、試合中に何かミスをした時に選手から「俺たち生活が懸かっているんだよ!」と言われたこともありました。それを言われて私も悔しかったですが、プロではないからミスしていいという訳ではなくて、求められるものはプロであろうが、プロでなかろうが一緒だと考えていました。しかし、体力的な部分や家庭との両立という面を考えると、審判活動に専念できる環境がもっと多くの方に広がればいいなとは思います。
プロの審判として充実した毎日
――Jリーグの試合で審判をするにあたっての苦労はありますか?
中村:これはJリーグ、そして審判だけの話ではないと思うのですが、意図的にミスをしようと考えていなくても、ミスが起きた時には試合の勝敗に大きく影響してしまうことがあり、対外的にも大きく報じられてしまうところは責任を感じるとともに大変だと思うところです。教員をやっていた時は、私のことがニュースで出た時は生徒たちも気をつかってくれていました(苦笑)
――これまで海外の大会で審判をされた経験はありますか?その時、国内との違いを感じたことはありますか?
中村:はい、これまで中国、アメリカ、タイには行かせていただきました。最初にアメリカで世界各国のユース世代が集まる大会に参加させてもらったのですが、その時に海外の選手は審判の判定をとてもリスペクトしていると感じました。もちろん判定に不満がある時もあると思いますが、説明をすると割とすんなり受け入れてくれたことを憶えています。
――試合の場面以外で、海外で大変だったエピソードはありますか?
中村:まず、アメリカの時は食事です。その参加した大会はピザの会社がスポンサーになっていたので、期間中は朝昼晩いつでもごはんが提供されるのですが、だいたいピザやハンバーガーでした(笑)途中から果物しか食べられませんでした・・。
――海外で他の審判やスタッフとのコミュニケーションはどうしていましたか?
中村:アメリカの時はホームステイで、通訳もいなかったのですが、学校で習った英語とジェスチャーを駆使してコミュニケーションを取っていました。アメリカという国の特性か、英語が出来なくてもこちら側の意図を酌んでくれる人が多かったので、そこまで語学で苦労したという感じではなかったです。
――現在、語学のトレーニングなどは何かしていますか?
中村:日本サッカー協会がイングランドの方を指導者として招いてくれていて、その方がご好意で研修をしてくれています。自主的に集まったメンバーで前の週に起こった事象について英語でお互いの意見を出し合う機会になっています。
――2022年にはパリ・サンジェルマンFC(パリSG)やフランクフルトの日本ツアーの試合でも審判をされましたが、試合を担当されて何か感じられたことはありますか?
中村:ありがたいことに担当させていただきました。国内のチームと比べると、パリSGの選手などはやはり純粋に身体能力が凄いと感じましたね。身長も190cm近くあって、スピードとパワーがあってと、同じ土俵で日本人選手が対等に戦うのは厳しいなと思いました。
テクノロジーに負けないぐらい精度の高い判定をめざして
――試合で審判のここに注目して欲しいところはありますか?
中村:試合中は審判が目立たないことが一番いいことだと思うので、選手に注目してもらえればと思います。「今日の試合、審判いたっけ?」と思っていただくのが理想だと考えています。その中で、プレーが止まった時など、選手と僕たち審判がどんなやり取りをしているのかを見てもらえれば、選手の人間性やまた違った側面も知れるのではないかと思います。
――サッカーの試合でも近年VARなど様々なテクノロジーが導入されていますが、テクノロジーの活用についてどのように思われますか?
中村:試合中の判定で、審判によるミスや人間の目ではどうしても判断できない事象があったからテクノロジーが入ってきたと私自身は考えています。逆に言えば、僕たち現場の人間がしっかり判断できれば、テクノロジーを使う必要はありません。なので、テクノロジーに負けないぐらい私たち審判がピッチ上の判定に対して突き詰めていく必要があると思っています。ものづくりの職人さんたちが数センチ、数ミリ単位でモノをつくられるように、我々もそれぐらい精度を高めていかなくてはいけないです。
――テクノロジーの導入は審判の心理的な負担の軽減に繋がりますか?
中村:私のミスによってどちらかのチームが不利益を被って負けてしまうことがあるので、それが少なくなるという点に関してはやはり安心と言うか、心理的な負担の軽減になっているとは思います。ただ、試合中に自分の判定がひっくり返る時の気持ちは何とも・・。
――ミスをしてしまった時は、すぐに気持ちを切り替えられるものですか?
中村:選手には申し訳ないのですが、起きてしまったミスは自分の力が足りないところなので、次はどうしたら正しく判定できるようになるか?とポジティブに早く気持ちを切り替えるようにしています。
――最後に、これから審判として活動しようと思っている人たちに向けてメッセージをお願いします。
中村:サッカーでもどのスポーツでも、選手として活躍できることが一番いいことかもしれないですが、審判として関わるという方法があることも選択肢のひとつとして知ってもらえれば嬉しいです。そのためには、僕たちが目指したいと思ってもらえるような存在にならないといけないと思うので、これからも頑張りたいと思います!
――質問は以上です。本日はありがとうございました。
※この事業は競技強化支援助成金を受けておこなっております。