2009-1-22

斎藤春香氏 講演会 第2回(三回連載)

2009/01/22



 去る平成20年12月8日(月)本機構主催の感謝の夕べにて北京オリンピック女子ソフトボール日本代表監督 齋藤春香氏の講演会「北京オリンピックにおける金メダル獲得戦略」のリポートを3回に分けてお届け致します。

司会:山本 浩氏 NHK解説委員室副委員長

講演:斎藤春香氏 北京オリンピック女子ソフトボール日本代表監督

高校卒業後、実業団へ

山本氏: 高校卒業後に実業団に入ることになりましたが、日立に決めた理由はあったのですか?
斎藤氏: 「熱意」でしたね。当時日本リーグは3部構成で、日立は3部でした。それを3年以内に日本一になるという強い熱意があり、そのために私が必要なんだと言われました。それから服さえ持って寮に入れば、後は何も要らないと言われた事も一つの要因です。
山本氏: 他のチームは選択肢になかったのですか?
斎藤氏: あまり印象に残らなかったんです。
山本氏: 勧誘時に掛ける言葉は重要ですね。
斎藤氏: いかに必要としているかということが選手に伝わらなければだめですね。


山本氏: 入団当初は大型内野手、背番号3番でしたね。それですぐにレギュラーになったのですか?
斎藤氏: はい。レギュラーとしてやらせていただいていました。
山本氏: その後、背番号が変わりますね?
斎藤氏: はい。4年目からキャプテンとして10番を背負いました。6年目からはコーチ兼任という立場になり、24番になりました。
山本氏: チームとしてはなかなか優勝には届かなかった。その理由は何なのでしょうか?
斎藤氏: 様々な要因がありますが、力が足らずでしたね。
山本氏: 選手の頃に大事にしていたことは?
斎藤氏: まずやってみるということです。色々なことを試し、その中から自分に合った物を見つけるということを大事にしていました。

初めてのオリンピック出場

山本氏: 非常に積極的な姿勢ですね。96年アトランタオリンピックからソフトボールは正式種目となり、斎藤監督は出場されました。JOCのホームページに当時の写真が掲載されているのですが、若々しくて、その中にも可愛らしさがあります。
斎藤氏: ありがとうございます。
山本氏: アトランタオリンピックの結果は4位でしたね?
斎藤氏: はい、4位でした。昨日のことのように覚えています。やはり初めての経験だったので、分からない事だらけだったということが要因の1つです。2つ目は、日本チーム個人個人の能力が非常に高かったのにも関わらず、繋がりが不足していたと思います。チーム内で仲の良い選手同士が固まり、グループ化してしまい、十分なコミュニケーションが図れませんでした。また、チームとしての目標も掲げていなかったことも反省し、経験しましたね。
山本氏: 当時はコンディション作りやチームのモチベーションを高めるような対策は行っていましたか?
斎藤氏: 1日1日精一杯やっていたということですかね。選手は勿論、スタッフや関係者も初めての経験でしたので、苦労されたことと思います。10日間の連戦だったのですが、最後はスタミナ切れで終わってしまいました。それらの経験があって今の充実した体制があると思っています。
山本氏: アトランタオリンピックの前には世界選手権、アジア大会も経験されていますね。それらの国際大会とオリンピックの違いはどのような部分でしょうか?
斎藤氏: 競技会場を始め、素晴らしい環境と本当に多くの人々が携わってサポート体制を築いているといったことだと思います。
山本氏: その中で、個人として印象に残ったものは?
斎藤氏: 大舞台で結果を出すということは、相当の努力が必要なのだと感じたことです。個人的な記録と結果は満足だったのですが、チームとしての結果は非常に悔しかったです。

2度目のシドニーオリンピックと3度目のアテネオリンピック

山本氏: そして4年後にシドニーオリンピックを経験されていますが、予選はずっと勝って進みましたね。雨の中の決勝戦は印象的でしたが、その時の状況を話して頂けますか?
斎藤氏: アメリカとの決勝戦で、私はファースト側のベンチにいました。最後、サヨナラ負けをしました。
山本氏: 同点に追いつかれ、延長8回でした。
斎藤氏: 延長でタイブレーカーとなり、最後逆転されたんです。外野にレフトボールが飛びました。しかし、シドニーオリンピック時のチームは非常に一体感を持てていました。よく頑張ったと思います。当時、一人の選手がミスをしたから負けたということなど色々と言われましたが、絶対にそうではなく、チーム全体としてどうあるべきかということに対しての問題でした。



山本氏: シドニーを経験して、アテネではどのような気持ちを持っていましたか?
斎藤氏: シドニーで悔しい思いをしていたので、アテネではもう金メダルしかないという思いでしたね。また、私はアテネでは“ベテラン”になっていましたので、そういった意味でコンディションを整えていくという個人的な辛さと悩みはありました。チーム全体としては、1戦目がオーストラリアだったのですが、日本は負けました。そこから焦り、盛り返したオリンピックだったと振り返ります。
山本氏: オーストラリア戦での敗因は何だったのでしょうか?
斎藤氏: もう全力で戦った結果でしたので、オーストラリアが上手だったのだと解釈できます。オーストラリアには非常に高い集中力があり、雰囲気としては日本が勝っていたんです。それが最後の最後で負けてたということに繋がったのだと思います。アトランタオリンピックと同じ経験をしましたね。そういった経験が今に生きているのだと思っています。
山本氏: 日本のスポーツは、野球にサッカーなどオーストラリアには非常に苦しめられていますよね。その第1戦後、切り替えというのはどのように行ったのでしょうか?
斎藤氏: 当時の日本チームの監督は宇津木監督でしたが、チームをまとめて精神的なケアまでしてくださいました。1戦1戦集中して戦い、終盤に力を発揮することができたと思います。
山本氏: その後、アメリカにも敗れましたね。1勝3敗で、中国になんとか勝って3位決定戦を迎えました。そこでまたオーストラリアに敗れました。チームとしては納得できた結果だったのですか?
斎藤氏: やはり、負けるべくして原因もあると思います。当時を振り返ると、あの状況からよく頑張ったなと私は思いますね。反省点として、左投手に対する対策が出来ていませんでした。緻密な対策が不足していたと思います。
山本氏: アテネはかなり暑い地域ですが、環境やコンディションに対する準備等は行いましたか?
斎藤氏: アテネは非常に乾燥していました。個人的なことですが、私はコンタクトをしていて、ドライアイになりました。そのような対応が出来なかったのですが、言い訳には出来ません。事前準備が本当に重要となります。



ルール改正によるメリット

山本氏: ルールが変更されましたね。ボールが白色から黄色になり、これはテレビに分かりやすく映り、バッターにとっても非常に好都合です。その他ルールの変更は、日本チームの特性を抑圧するようなことはあったのでしょうか?
斎藤氏: ルールを活用して戦うといったことはできなかったと思います。ただ、プラスになったと思われるのは、ピッチャーと本塁の距離が伸びたことです。アメリカを始め、海外のピッチャーは非常にパワーがありますから、そういった面では日本の攻撃に関して有利になるということになります。
山本氏: 1塁のベースが二つになったのはもっと以前からのことですか?
斎藤氏: いいえ、同じ時期です。ルール改正は2002年に成されました。
山本氏: 世界がソフトボールに注目し、プレーヤーをはじめ観客を集めるというような戦略の上でのルール改正でしたね。
斎藤氏: しかし、アメリカ主導でどんどん変えられてしまっているという問題点もあります。
山本氏: 日本から見てもそう感じられる要素があるということですか?
斎藤氏: 色々な考えがあるとは思いますが、そういうことですね。




現役引退と指導者への道

山本氏: アテネでは銅メダルを獲得しましたが、選手としての活動はここで終わりと考えていましたか?
斎藤氏: はい。2004年で引退しました。
山本氏: 選手生活は充実していましたか?やり残したと思うことはありますか?
斎藤氏: 全力を尽くせたことに関しては、悔いはありませんでした。しかし、長年全日本に所属し、オリンピックも3回経験しましたが金メダルが取れなかったということは非常に悔しかったですね。次世代に必ず金メダルを取ってもらいたいなという思いで引退しました。
山本氏: アテネ後に全日本のコーチに就任、選手からの切り替えはどのようだったのでしょうか?所属チームである日立では選手・コーチ兼任として活動していましたが。
斎藤氏: 2004年に全日本の選手と所属チームである日立の監督と選手、3足のわらじを履いている状況でした。
山本氏: 選手をしながら監督やコーチをしていくのは難しいのではないですか?
斎藤氏: とにかく非常に時間が足りないと感じていました。しかし、両者の立場を経験し、とても勉強になったと思います。
山本氏: その経験の中で、自分の指導方法やチーム作りなどに関する信念などは形成されましたか?
斎藤氏: 沢山ありますが、まず、頭ごなしに指導しないということです。選手に質問されたときに、きちんと根拠を答えられるよう準備はしています。その上で褒め、叱ることをしています。
山本氏: それは選手の年齢や経験に関係なく?
斎藤氏: はい。選手の話を聞いてそれに対応しています。高校時代の先生からの影響でもあります。



北京オリンピック代表監督就任

山本氏: 北京オリンピックの代表監督就任の打診があった際、喜びましたか?
斎藤氏: 実は、何度も遠慮させていただくという返答をしていました。評価をして頂いていることは、本当にありがたかったのですが、私はまだまだ若い指導者ですし、これから色々な苦労を経験しなければならない立場です。
山本氏: 最終的に引き受けたのには、何か理由が?
斎藤氏: 様々な方に相談したのですが、ここまで言って頂けることは光栄でしたので、引き受けました。
山本氏: よく人に相談する際は、自分の中である程度決心をされているという場合がありますね。
斎藤氏: やはりオリンピックを3大会経験していることが大きな理由でした。それがなければ、絶対に引き受けていないですね。また、オリンピックで様々な経験をしてきましたが、成功よりも失敗の体験が多いです。それを次に生かせるということも理由の一つです。
山本氏: ということは、斎藤監督を説得した方がいたということですね?
斎藤氏: はい、色々な方から助言していただきました。非常にありがたいです。

以上、斎藤春香監督「北京オリンピックにおける金メダル獲得戦略」第2回リポート
終わりとします。