2009-2-27

上野由岐子選手講演会

2009/02/27




平成20年12月20日開催

応援のチカラ

 みなさんおはようございます。
北京オリンピックではたくさんの応援、ありがとうございました。

 私たちが金メダルを取れたのは、どこへ行っても聞こえる声援と、がんばれという言葉に支えられたおかげです。自分が思っていた以上にたくさんの方々に応援していただき、帰国した時に改めて日本の応援に感謝し、本当に皆さんの力があって取れた金メダルだと感じました。



 自分たちが勝ち取った金メダルを、自分自身が喜ぶのは当たり前ですが、同じように国民の皆さんにも喜んでいただき、子供たちへ希望を与えることができたということにも幸せを感じています。
 これまで、ソフトボールは野球の延長だと言われてきましたが、このように様々な場面で取り上げられ、大変うれしく思っています。

北京オリンピックまでの準備

 オリンピックで、女子ソフトボールは8ヶ国が参加し、初戦はオーストラリアでした。
 初戦が決定したのは2008年3月で、アテネオリンピックで負けた悔しさをはらすための対戦だと考えていました。この時点ではまだ正式にオリンピック代表選手は決定しておらず、私は開幕戦で投げたいと強く思い、選考会では猛アピールしてきました。
 4年間の努力の甲斐あって、開幕投手を務めることができたのですが、今回の北京オリンピックは、「運」がついていたなと思います。1戦1戦全てが自分の考えた通りに事が運んでいき、こんなにうまくいくとは思っていませんでしたから。
 第5戦の中国戦で勝ったことによって、今回のオリンピックは相当なところまで行けるなという良いリラックスになりました。予選ではコールド負けしたので、チームが奮い立ち、中国戦とカナダ戦に挑みました。
 バッター陣の気持ちは直接チームの雰囲気に繋がります。1試合重ねるごとに雰囲気が高まっていきました。そのおかげで私も自信を持って投げることができ、4年前の悔しさも晴らすことができたのです。
 この4年間で、栄養学やコンディショニングを学び、自分の体を良く知ることができたと思います。体は毎日調子が変わります。そのため、臨機応変な対応能力が必要とされるので、そのために勉強をしました。
 「昨日の自分は帰ってこない」日々、体と気持ちは進化していきます。それは自分の中で起こっている事だと理解することが大切で、いつも試合で試しながら北京へ思いを込めてやってきました。しかし、一番重要なのは、勝ちたいという気持ちです。勝負は相手とのやりとりですので、戦ってみなければ分かりません。しかし、気持ちは常に勝っていなければいけません。また、万全な準備も必要不可欠です。自分たちが試合に向けて、どのような準備ができているのか、さまざまな場面に対応できる練習が行えると、大丈夫なんです。特に、決勝のアメリカ戦や3位決定戦では、私自身のボールの球威がおとろえていました。三振を取るのではなく、ランナーを背負ってでも我慢してやっていこうと思ったんです。試合後、振り返ってみると驚きました。準備することはメンタル面に非常に影響するということが分かりました。ピンチをピンチと思わず、平常心で投げることができたのです。

アメリカとの対戦

 3位決定戦後、300球の連投の疲労はとれず、肩の疲れはひどいものでした。スピードだけでなく、キレも落ちていました。とりあえず、先制点を与えないピッチングをしていこうとチームで話をしていました。アメリカは強打者揃いで、ホームランだけは避けようと思っていました。アメリカ戦は、シュートボールが鍵を握っており、アテネオリンピック後、ルネサスの宇津木麗華監督とアメリカに渡りました。アメリカにはソフトボールのプロリーグがあり、さらに大学生を中心としてたくさんのリーグもあり、代表選手同士の試合も見ることができました。その中で、アメリカ選手は「横の変化」に弱いという発見ができ、オリンピックではこのボールがないと勝てないと思いました。
 アメリカのピッチングコーチに無理にお願いをし、長い時間、投球の指導をお願いしました。2時間が1日、1日が2日になりました。そのことでスポーツに国境はないと感じました。ソフトボールが好きだからこそ、海外まで学びに行くことができ、長時間ライバル国のコーチに見てもらい、本当に学ぶことが大きかった渡米となりました。アテネ後、“自分がやらなければいけない”とか“チームの負担にならないよう”というようなプレッシャーが掛かっていた時期に監督が渡米させてくれたのです。このようなプレッシャーは、自分だけが感じているのではなく、みんなも同じように感じている。コーチには「自分だけ苦しいのではない」と言われてきました。その時に、「自分は苦しいふりをしていたんだ」と気付き、プレッシャーが吹っ切れました。コーチの言葉で、2005年は国内大会で好成績が残せました。 ジャパンカップでも、念願のアメリカ戦にも勝ちました。



周囲への想い

 宇津木監督から「自信がないならマウンドを降りろ」といわれたことがあります。気持ちに迷いがある時に、そう言われました。頭の中でイメージし、それはパフォーマンスに影響します。気持ちが結果と繋がっているのです。ピッチャーはチームメイトに背を向けて投げるので、皆から見られています。弱い気持ちで立つと、絶対にバレてしまいます。自分の調子が悪くても、この4年間の努力や、渡米したこと、会社のサポート、 宇津木監督が近くにいてくれるということが、非常にありがたいと思いました。それを感じることで、頑張りに繋げなければならないと思いました。



 北京オリンピックの試合の話に戻りますが、予選2位で決勝トーナメントに進み、初戦のアメリカに負けた場合でも決勝にいける可能性があったので、3試合全て投げるという覚悟で臨みました。両親やチームメイトなど、たくさんの人のためにも、自分が投げきってやろうと思っていました。正直いって、8回のブストス選手のホームランによる負けは、負けたことがショックだったのではなく、7回まで0-0だったのに、逆転されてしまったことに悔しさを感じました。しかし、3試合する運命だったんだと思いました。不思議なくらい前向きだったんです。アメリカ戦でホームランを打たれて負け、延長になり、指のマメがつぶれてしまいました。そういう経験があったからこそ、今回の決勝のピッチングができたのだと思っています。413球の中の全てが、1球1球重ねるごとに成長し、最後のあの1球が生まれたのだと思います。
 決勝戦では、ショートの西山選手が試合前に「上野さん、絶対先に2点とりますから」と声を掛けてくれました。それがすごく嬉しくて、準決勝までは先制が続き、苦しい試合が続いたので、自分だけではなく、野手も苦しいのだとその一言で色々な事がよみがえってきました。そう言ってくれた西山選手のためにも、絶対取ってくれるまで投げきってやろうと思っていました。チームメイトには本当に助けられたと思います。今回の代表チームは、プレイしている選手だけでなく、ベンチの仲間たちも一つになり、声を枯らして応援してくれました。マウンドまで声援が聞こえ、熱いものを感じました。「上野!頼んだよ!」という言葉が聞こえ、勝つことができました。

感謝の気持ち

 北京では、日本のニュースが1日遅れで入ってきました。ソフトボールが新聞の一面に載っていると大喜びしていたのに、帰国すると、空港で予想以上の大勢の人たちに大歓迎していただき、皆さんの応援を改めて感じました。ソフトボールをしている時は、誰かのためにやるという気持ちも大切です。監督のため、金メダルへの思いがあったからこそここまで来れました。仲間や指導者、普通にこのような環境があるように見えるのだけれど、これらがあって自分がいる。両親や仲間がいるから頑張れる。仲間って一生大事な存在ですね。
 皆さんには、今を大事にし、目標や夢を持って、頑張って欲しいと思います。ソフトボールがオリンピック種目になり、金メダルをとりたいという夢を持っていたから、頑張れました。夢は逃げない、逃げるのは自分自身です。自分の夢を逃げないでつかんでほしいと思います。今回、金メダルが取れ、ここで講演ができたのは、夢をあきらめずにいたこと、皆さんがいてからこそ実現したのだと思います。皆さんも頑張ってください。

<質疑応答>

Q. ソフトボールを始めたきっかけは何ですか?
A. クラスメイトから誘われたのがきっかけです。父が野球に携わっていたということもあります。
Q. 試合中に何を考えていますか?
A. 一番に考えていることは、“試合に勝ちたい”ということです。
Q. ピッチャーとして掛けてもらいたい言葉は何でしょうか?
A. 野手から「こっちに打たせていいよ」という言葉です。自分だけで戦っているのではないと事を感じますし、思い切って投げられます。チームメイトから信頼されてほしいですね。期待の言葉をかけられると、やってやろうと思います
Q. 試合の前日に必ずすることは何ですか?
A. 寝る前にストレッチをします。試合当日の朝にもストレッチをします。
Q. アテネオリンピックから北京オリンピックまでの4年間のメンタルと、練習量を教えてほしいです。
A. 4年間は、本当に苦しい練習をしましたし、勉強もしてきました。とことん追い込んだと思います。マウンドに立った時に恐れないために練習しましたね。
Q. 1日何時間練習しますか?
A. シーズン中は試合直前になると、朝から約7時間。シーズン前は、仕事をした後、約4時間練習します。冬はボールを触る機会がなく、走り込みをします。
Q. 明日試合という時、プレッシャーをなくすにはどうすれば良いでしょうか?
A. まずはプレッシャーを受け入れるかどうかです。プレッシャーがないと、気持ちも引き締まりません。そして、緊張感をどう受け止めるかです。どのようにして勝とうかと考えることが大切で、負けたらどうしようと考えるのではなく、勝つ方法を考え、わくわく感を感じることでプレッシャーを克服してください。
Q. 小学生の時の50m走のタイムを教えてください。
A. 正直わかりません。6秒くらいだったかな…クラスでは一番でした。
Q. ソフトボールをやめたいと思ったことはありますか?
A. ないです。ピッチャーをやめたいと思った事はありました。
Q. 今まで努力したことは何ですか?
A. 努力した感覚はありませんが、人の倍練習してきました。それが努力に繋がってたかなとは思います。



Q. 上野選手のモットーがあれば教えてください。
A. 「人に負けてもいい。しかし、やるべきことをやらない自分の弱さには、絶対負けたくない」これは須永博士さんの言葉です。


<これからの夢や皆さんへのメッセージ>
 ソフトボールは次回のオリンピックでは正式種目から外れてしまいますが、2016年のオリンピックで復活できるように、頑張っていきたいです。来年6月、2016年オリンピックの正式種目が決まるので、この熱い思いを感じて頂ける試合をしていきたいと思います。