「桜色の魂 〜チャスラフスカはなぜ日本人を50年も愛したのか」
ベテランのノンフィクション作家、渾身の力作である。長田渚左という人の底力を見せつけられた思いである。
1964年東京、68年メキシコ、2つのオリンピックで7個の金メダルを獲得した体操の花ベラ・チャスラフスカの波乱過ぎる人生に迫ったレポートは、体操、スポーツの域を遙かに超える「人間の存在のあり方」を語りかける。
長田さんと久しぶりに会ったのは、かすかに秋風が感じられるようになった9月11日、都下のお通夜会場だった。64年東京五輪の聖火最終ランナー、坂井義則さんを見送る人たちの中に長田さんはいた。「お久しぶりです」などと挨拶を交わした後で、彼女は言った。「今度、本を書きました。ぜひ読んでください」。程なくして彼女から送られてきたのが真新しい「桜色の魂」だった。
1964年東京オリンピック、当時を知る人にとってもその残像は、きわめて断片的なものである。無理もない、既に半世紀彼方の出来事なのだ。当時小学生だった著者は、その断片の中から、チェコスロバキア(当時)からやって来た体操の名花、五輪当時22歳だったベラ・チャスラフスカに惹かれてしまう。そこから時が流れた1990年、著者にベラとの最初の出会いが訪れる。しかし、これは本著が世に出る今年まで、実に半世紀にわたる長い旅路の入り口に過ぎなかったのだ。
ベラの頂点とどん底はあまりにも大きなギャップをはらんで推移した。そのために一人の名花の足跡をたどるには、膨大な時間とお金を費やさなければならなかったことは容易に想像できる。現に長田さんは貯金を取り崩してまでこの仕事に挑んだという。
細かな流れは、本著を読むことで堪能していただきたい。大まかに言えば、ベラ・チャスラフスカは64年東京-68年メキシコ五輪の体操女王である。しかし、またその一方で、歴史に翻弄され辛酸をなめ尽くす悲劇も味わう。チェコスロバキアには、社会主義国からの脱皮を図って自由改革運動(いわゆるプラハの春)の波が高まっていた。しかし、メキシコ五輪の直前に、この運動を阻止すべくソ連軍率いるワルシャワ機構軍の戦車隊が突如として首都プラハに進行した。知識人らは「プラハの春」を後押しすべく「二千語宣言」を発表したが、チャスラフスカもこれに署名した一人だった。
この時、ベラ26歳。そこから延々と共産党政権の迫害が20年も続く。一切の職を剥奪され、その存在すら覆い隠されるような生活だった。繰り返された「二千語宣言」署名撤回の要求を拒否続けたことがすべてだった。権利が復活したのは1989年11月。東欧で起きた民主化のうねりがチェコスロバキアにも及び、無血のまま「ビロード革命」が成功したからだった。復権したチャスラフスカは大統領補佐官、IOC委員などとして華やかな復活を果たす。
普通なら、ここで物語は完結する。しかし、波乱は続く。しばらく後に彼女は再び突然に表舞台から姿を隠す。今度は心の病だった。家族の間に起きた不幸な事件もあったが、それだけでは説明のつかないものだったという。それが今度は14年にもわたる。再びの暗い闇から脱出したのは2000年代も後半に入ってからだった。
しかし、ここまでは、単純にベラ・チャスラフスカのプロフィールを述べたに過ぎない。実は、本書の大きな幹となっているのは「日本」である。固い意志で自分の人生を貫き通したベラのバックボーンとなったのは「日本」だったというのである。読み進むたびに、随所に同じ東京五輪の男子体操の金メダリスト・遠藤幸雄が登場する。遠藤の伝記と言ってもおかしくないほどの頻度である。
また、東京五輪時に、一運送業者が彼女に贈った謎の日本刀がこの著書で不思議な輝きを放つ。この点ではミステリー小説の趣も味わえるのだ。
チェコ、国内などで重ね、70歳を過ぎた今、ベラが語る真実は新鮮である。ベラと遠藤の人生をたどりながら、遂には彼女と日本の間に温かい歴史が横たわっていた事実にたどりついた長田さんの力業には頭が下がる。270ページに及ぶ「大作」を読み終わって、初めて表題の「桜色の魂」が鮮やかに浮かび上がる仕組みには感動さえも覚えるのである。