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2013-10-10

これでいいのか2020東京オリンピック

2013/10/10

 戦後復興の象徴だったあの東京オリンピックから56年目に、聖火が帰ってくるが、正直言って、2020年大会は東京に来ない方がいいと思っていた。
 前回の招致失敗以来、「何故東京なのか」「2度目の開催に大義名分はあるのか」という疑問をずっと持ち続けてきたからである。むしろ、イスタンブールの方がイスラム圏初という大義があるではないかと。
オリンピックがあまりにも華美に、そして巨大化していく過程を見つめながら、東京も間違った方向へ迷い込んでしまうのではないかという懸念も頭から離れない。
 9月7日、ブエノスアイレスで行われた国際オリンピック委員会(IOC)総会で2020年大会開催地が東京に決まった瞬間、「これから先、東京は大変な課題を背負っていかなければならないな」という思いが頭をよぎった。そして、安倍晋三首相のプレゼンテーションには本当に驚かされた。福島原発事故による汚染水漏れ問題についての「ブロック」「コントロール」発言。これが招致決定の切り札となり、招致成功に向けての方便だったのだろうか。
 東日本大震災の被害状況、福島の汚染水の実態を知る者として、あまりにもかけ離れた首相の発言だったので「国内でも論議が尽くされていないのに、あんなことを世界に向けて約束して大丈夫なのか」と心配になった。
だが、東京に決まったからにはプレゼンで約束したことを裏切らず、汚染水漏れの収束に最大限の努力をしてもらいたい。2020年大会は東日本大震災の復興を大義として開催しなければならないだろう。

チームワークでつかんだ勝利
 東京のプレゼンテーションは確かに、他都市と比べて効果的で立派だった。高円宮妃久子殿下の登壇は、皇族代表としての威厳を思う存分発揮したし、続く震災地気仙沼出身パラリンピアンの佐藤真海さんは涙も交え懸命に訴え、IOC委員の心をつかんだ。女子アナの滝川クリステルさん、フェンシングの太田雄貴選手も及第点だった。猪瀬直樹東京都知事のオーバーアクション、竹田恒和招致委理事長の落ち着いた演説、水野正人招致委専務理事のスマイルトークなど熱意が伝わってきたことは確かだ。
 総合力、チームワークでつかんだ勝利と言っていいが、皆の言葉は責任を持って必ず実行しなければならない。一つでも実現しなければ、大会返上も辞さずの強い信念、覚悟を持ってほしい。
 あと7年、祝福や歓迎ムードはもう終わりにしてもらいたい。課題は山積している。来年2月には政府、東京都、日本オリンピック委員会(JOC)が中心になって2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会がスタートする。実際にイニシアチブを取るのはどこか、勢力争いに発展する恐れがある。スポーツ庁の設置が決まった後、莫大な予算を仕切れるところが幅を利かせるに違いない。
 メーン会場となる国立競技場建て替えに関わる環境問題も出てきた。自然の美観が保存されている明治神宮外苑の風致地区に立地されるが、あまりにも巨大な建物のため、景観を壊すことは必至。競技場周辺の住民を強制的に立ち退かせる計画があり、既に反対運動も起きている。さらに総工事費1300億円の予算を計上しているが、これだけで済むとは思わない。これは都民、国民の血税で賄われるわけで、規模縮小を考えてもいいのではないだろうか。
 オリンピック開催の経済効果が3兆円とも10兆円とも言われている。確かにオリンピック景気は再来するだろうが、これは一過性のもので、東京以外の地域に住む人々からすれば「東京だけが潤うだけ」という声も聞かれる。特に東北の人たちは「復興オリンピックと唱えても、東京が発展すれば他はどうなってもいいという考えが目に見えてくる」と厳しい意見。さらに「放射能事故の収束どころか、拡大の目もある。復興予算をもっと回してほしい」と、切実な言葉を吐く人も。都民の間でも「オリンピックのために税金を払っているようなもの」と嘆いている。


理想のオリンピックを

 入社2年目で1972年の札幌冬季オリンピックを取材して以来、夏冬合わせて6度のオリンピックを経験したが、冷静な眼で各大会の組織、運営を見てきたつもりだ。常に批判精神を持って取材に当たった。オリンピックの理念、真実を追い求めるにつれ、肥大化、商業主義、ドーピング、招致に向けた買収疑惑、環境破壊、勝利至上主義など多くの弊害、矛盾を字にしてきた。
 今回の東京招致成功で、メディアはこぞって褒め称え、お祭り騒ぎ的な報道ばかりで無批判記事が目立った。自分たちの利益誘導しか考えなかった政済界、スポーツ界、マスコミ、そしてオリンピックに関わる人たちはまず反省し、そして今後の対策や課題を整理し、7年後の本番に向け理想のオリンピックを考えながら開催地としての責務を果たさなければならないだろう。(了)



堀 荘一

1947年9月生まれ 東京都杉並区出身
1970年早稲田大学社会科学部卒、同年株式会社時事通信入社。1996年運動部長、1999年整理部長、2005年解説委員などを歴任。オリンピックの取材経験は夏・冬合わせて6回に上る。夏季はモントリオール(1976年)、ロサンゼルス(1984年)、ソウル(1988年)、冬季は札幌(1972年)、リレハンメル(1994年)、長野(1998年)。取材した競技は体操、バレーボール、卓球、アーチェリー、ボート、馬術、陸上、水泳、大相撲、アマチュア野球、プロ野球、プロボクシング、アルペンスキー、スピードスケート、フィギュアスケート、アイスホッケーなど


堀荘一さんはスポーツジャーナリストOBによる社会貢献グループ「エスジョブ」に参加されています。
S-JOB(エスジョブ)公式サイト