「野球の定石」
日本には「球春」という言葉がある。当たり前のように、今年も「センバツ」゜の季節が訪れる。僕は、今年も甲子園に行く。私事ながら、現場記者への思い断ちがたく、新聞社の管理職を離れた5年前から、欠かさず春、夏の甲子園に足を運んできた。「球春」には私の心を動かす何モノかが潜んでいる。
球児行脚を復活させた5年前、その甲子園で思いがけない人と再会した。フジテレビの元アナウンサー、松倉悦郎さんである。主にスポーツ畑で名調子を博したが、定年を待たずにその職を辞し、現在は結城思聞さんとして兵庫県明石市の善教寺で住職を務めている。一風変わった経歴だが、いまはそのことを置く。結城さんは、忙しい仕事の合間を縫うように、大会期間中の甲子園に足を運び続けている。昨年の晩秋、その結城さんから、一読をと送られてきたのが「野球の定石」である。
本著は「野球の定石」刊行会が編集しているが、結城さんはその会長である。著者の山内政治さんは早稲田大学野球部OBである。そして、今は亡い。結城さんもまた、野球部ではないが早稲田のOBである。縁あって結城さんが、奥島孝康日本高等学校野球連盟会長・元早稲田大学総長以下、多くの人々に声を掛け、刊行されたのが本著である。その経緯は、ぜひ、この著を読んでご理解いただきたいと思う。
さて、肝心の中身について紹介するのが遅くなってしまったが、一言で言えば、表題の通り、まさに「野球の定石」の解説書である。大学野球から高校野球の指導者に転じた筆者が、日々の練習、試合を通して得たデータから解きほぐすセオリーである。書きとどめた数十冊のノートは、かつて自費出版されて野球人の手に渡り、知る人ぞ知る存在だったという。それが、公に出版され日の目を見ることになったのである。しかし、その中身の濃さは微に入り細に入るもので、これでもかと、あらゆる局面から戦術が描かれている。筆者は、データ野球で知られる野村克也氏を尊敬していたというが、十分に頷けるものである。
メンタル編にはじまり、守備編、ポジション編、攻撃・打者編、攻撃・作戦編と分かれるが、その各編ごとに示される戦術は緻密なものである。たとえば、守備編。①ランナーなし②ランナー一塁③ランナー一塁二塁④ランナー一塁三塁⑤ランナー満塁⑥ランナー二塁⑦ランナー二塁三塁⑧ランナー三塁の局面を想定する。しかし、もちろんそれでは止まらない。さらに、各項目であらゆる局面を想定した記述が図解とともに事細かに展開される。指導者はもちろん、野球好きには時間のたつのも忘れさせる内容になっている。ここに、その全容などとても紹介できるものではない。
しかし、僕があえて本著を広く紹介したいのは、別の視点もまた大きいからである。山内政治氏、その人の存在を知っていただきたいし、忘れてほしくないという思いからだ。氏は一浪して進んだ早稲田時代、レギュラー奪取を目前に新人監督(下級生の世話役)に転じた人である。卒業後、東京や、出身の彦根東高校を含めた滋賀県の高校野球の指導者となるが、情熱を燃やしながら甲子園へは一歩及ばなかった。
悲運の二文字は、はなはだ憚れるが、失礼ながら使わせてもらう。監督業のさ中の2004年、化学物質過敏症に苦しむ妻が自死の道を選ぶ。説得のため現場にいたことから、自殺幇助罪に問われて逮捕。多くの減刑嘆願書が集まったが、懲役2年2ヶ月、執行猶予3年の判決が下り、教員を免職。以後、教壇にもグラウンドにも立つことがなかった。苦難のうちに、やがて09年2月11日、山内氏自らが腸間膜出血で急逝する。まだ、49歳6カ月の若さだった。
本著は、確かに氏が心血を注いだ「野球の定石」の書である。だが、これを遺した人の波乱の人生の集大成でもある。氏の遺族、彼を取り巻いた人たちが寄せた文面には深い味わいがこもる。
「球春」に、こんな野球人がいたことに思いを寄せていただきたいのである。