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2012-3-5

スペイン伝統の一戦“エル・クラシコ”

2012/03/05

 サッカースペイン国内リーグでは、毎年数回、『エル・クラシコ』と呼ばれる伝統の一戦が行なわれる。バルセロナ対レアル・マドリーという世界を代表するスペインサッカーの2チームが首位をかけて激しく“崇高な戦い”を繰り広げ、世界中のサッカーファンがこの試合に魅了される。日本でも『伝統の一戦』、『頂上対決』などと大きくとりあげられる一戦だが、これはスペイン国内、またバルセロナを取りまくカタルーニャ地方では全く異なった意味を帯びた両クラブの対決でもある。

 このエル・クラシコの話題は試合の2、3週間前ほどから様々な人から耳にするようになる。「どちらが強いか」「どのような試合展開になるか」「誰が得点するか」「負けたら監督は解任だ」「勝ったチームがリーグ優勝に大きく近づく」などなど。サッカーの話題が大部分であり、一見してスペインの国民の大部分がサッカーに関心があるかのように聞こえる。バルセロナ、マドリードだけではなく、スペイン南部、北部でも似たような会話がひっきりなしだ。おじいさん、おばあさん、肉屋のお兄さん、公務員、若い学生や少年達もその話題で盛り上がる。しかし現実にはこの話題を口にする人々にとってサッカーの試合それ自体は重要でないことに時間とともに気がつく。


 サッカーという競技の話題を除いて、エル・クラシコを取り巻く話題の中で、スペイン国内の人々にとって最も重要なことは「スペインの首都マドリードが勝るか」、それとも「スペイン中央集権主義に異議を唱えるカタルーニャ地方」が勝利するのかということである。そして、そこには『地域代理戦争』という意味が含まれている。もちろん少年達は無邪気にスター選手の話題などで盛り上がるであろう。しかし多くの成年、高年齢層の人々にとっては、スペインそしてカタルーニャ地方の歴史、市民戦争、カタルーニャ地方への弾圧、それに対する多くの人々の複雑な思いが含まれた話題なのである。

アムステルダム へレムの跳ね橋

<“CATALONIA IS NOT SPAIN”「カタルーニャはスペインではない」という横断幕がバルセロナのスタジアムでは多く掲げられ、この試合に政治的背景を無視することはできない。>

 皆様の記憶にも新しいだろうが、「TOYOTAプレゼンツ・FIFAクラブワールドカップ・ジャパン2011」(以下、クラブW杯)のためにバルセロナは来日しており、『クラブ世界一』をかけて世界6大陸のクラブチャンピオンと戦い見事世界一に輝いた。しかしスペインでは、国内リーグ戦の一戦という位置づけである“エル・クラシコ”の方がはるかに注目されたのである。今でこそバルセロナの存在から、少なからずの注目を浴びるようになったクラブW杯だが、バルセロナの人々にとってクラブW杯は『遠征試合』に過ぎないという考え方もあり、多くの一般の人々はまったく試合結果を気にもしていないことが普通である。また、マドリードやスペイン国内の人々にとっては、同国のバルセロナが『クラブ世界一』のタイトルを日本で掲げるかは、“エル・クラシコ”の勝敗の重要性には遠く及ばないのである。

 そしてクラシコの1週間前ぐらいには多くの人々が、その心落ち着かない思いを口にするようになる。テレビ、新聞、インターネット上では連日報道が繰り返されて、多くの人々が緊張状態をむかえる。この「緊張状態」という言葉だが、試合の内容に対しての緊張ではなく、大部分は結果に対する緊張と表現できるかと私は考えている。先に述べたように、サッカーファンであるか否かは関係なく、政治的『代理戦争』の行方に興味のある人が大半を占めているからである。先日、朝の5時にある空港に向かうためにタクシーを利用したが、タクシーの運転手さんは、クラシコ情報のラジオをつけっ放しのまま、道中ずっとこの一戦の話題で終始した。試合の2、3日前になればまさに話題一色となる。私も一緒にサッカーを興じるスペイン現地の友人とはクラシコの話題で大きく盛り上がる。しかし全くサッカーに興味のない友人もこの時ばかりは『緊張している』『仕事に集中できない』という有様である。

 試合が近づくにつれて、バルセロナではカタルーニャの旗が多く掲げられるようになる。試合当日は、実に多くの人々がバルセロナのユニフォームを来て仕事場へ向かったり、学校へ通ったりするのが恒例の景色である。試合は有料または一般のテレビで公開されるが、多くの人々は「バル」でタパスと呼ばれるおつまみや軽食を堪能しながら観戦する。スペインはこの「バル」が非常に多く、観光客などにも有名であるが、試合開始の30分ぐらい前には多くのバルが人で一杯に膨れ上がる。特にマドリードやバルセロナでは街から人や車の音が激減して、まさに国民全体でこの一戦を見守るのである。スペインの現地紙などでも『廃墟になった街』などと、都市部におけるクラシコの時間帯の異常なぐらいの静けさを表現している。

 そして静けさの中、この“儀式”が始まるのである。キックオフ、試合が始まると90分間のプレーに多くの人が一喜一憂する。2010年サッカーW杯の盛り上がり方よりもこの一戦の方が盛り上がるという人も少なくない。様々な思いが交錯する人々は、いろいろな想いを胸にこの試合を凝視する。また、このような大切な試合では多くの人がテレビの音声をオフにして、自分のお気に入りの解説者が放送するラジオから音声だけを引っ張る。やはりこれだけ多くの人が注目する政治的一戦だけあって、コメンテーターもさまざまなのである。余談ではあるが、私が先日、ある『バル』でクラシコの試合をTV観戦しようと待機していると、制服を着た明らかに勤務中の警察官が6人ほど入ってきて不安げに席について試合を観戦していた。彼らはハーフタイム直前に勤務に戻ったが、まさに『警官も泥棒も一緒になる』瞬間であった。

アムステルダム へレムの跳ね橋

<FCバルセロナの応援に駆けつけるサポーター達。カタルーニャ自治区の国旗を身にまとい、地域を代表するFCバルセロナを応援する。>

 私はバルセロナに住んで6年余りが過ぎた今、毎日カタルーニャの人々と触れ合うことでやっとその愛国心が少しずつ理解できるようになった。このクラシコの日だけは、私も仕事の有無にかかわらずFCバルセロナのマフラーを首に巻いて、現地の人と同じように応援する。正直、スター選手の活躍などは重要ではなく、自分を育てた街に感情移入するような自然な感覚で見守るのである。試合に勝てば花火が上がり、歓喜で車のクラクションが鳴り続ける。若者はお祭り騒ぎで、街の広場や有名な噴水の周りで勝利に酔う。首都のマドリードでも、北部のガリシアでも同じことだ。人々はスペイン国内最大のライバルチームの対戦を通して、様々な話題に思いを寄せるのである。スペインという国の『国民間の政治的相違』、そして『情熱的国民性』を大いに堪能することのできる瞬間が、このクラシコを通して体験することができる。

 もし読者の皆様にもスペインを訪れる機会があれば、是非ともバルセロナやレアル・マドリーなどの試合の様子をご覧になっていただきたい。会場に足を運べなくとも、人が集まる『バル』を見つけたら是非とも一度は立ち寄っていただきたい。割れんばかりの歓声や罵声が街のいろいろなバルから聞こえてくるはずだ。スクリーンに映る試合を心配そうに見つめる人達がいて、きっと特別な雰囲気を思う存分味わえることだろう。


馬場 源徳(ばば もとのり)

 1981年長崎市生まれ。上智大学比較文化学部卒業。アルゼンチン・ベルグラーノ大学南米文学科修了。東京、ブエノスアイレス、バルセロナから台北を経て、現在スペインに拠点を置く。スペイン語・英語・中国語を中心に、翻訳家、通訳としても活動するフリーランスコーディネーター。ボールスポーツを通しての国際交流、青少年教育を中心に研究。異なる文化環境で培った社会経験を活かして、日本と世界の国際交流に貢献することを目標とする。好みの分野はボールスポーツに限らず、紀行文学、国際社会、ITテクノロジーなど。