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2012-4-2

泥だらけのグラウンド、冷たいシャワー、固いパン

2012/04/02

 サッカー大国として知られるアルゼンチンは、ディエゴ・マラドーナ、リオネル・メッシを筆頭に世界を代表するスター選手が次々と生まれるスターの宝庫でもある。無数のサッカークラブ、街中にみかけるサッカーショップ、サッカーの広告、サッカーを楽しむ人々の多さはスペインを考えても圧倒的にアルゼンチンの方がサッカー狂と断言できる。アルゼンチンやブラジルの人々のサッカーとの付き合い方は、スペイン人やイタリア人のそれよりももっと“密接なもの”とも表現できるだろう。

 私は首都ブエノスアイレスにある大学院に通いながら、某クラブチームの2005-06年シーズンに加入した経験がある。2006年といえばサッカーワールドカップ・ドイツ大会が開催された年でもあった。優勝候補の一角のアルゼンチンは前回大会の雪辱を期して優勝を狙っていた。W杯大会の1ヶ月ほど前から、街中に英雄ディエゴ・マラドーナの得点映像などが流されていた。メディアもW杯一色で、大会期間中にはアルゼンチンの毎試合ごとに、経済危機にあえぐ国内が一喜一憂していた。そして、アルゼンチンがゴールを決めた瞬間、街全体から「ゴーーール!」という叫び声がコダマして、車のクラクッション、花火、歓声がブエノスアイレスの空に長く響きわたっていた。アルゼンチンの試合の日は大学院はもちろん、多くの会社なども試合を観戦できるように休憩をとっていたのも印象に残っている。

 その頃の私が所属したクラブチームでは、週に4回ほど練習しながら、週末はバスで長距離移動を行い、様々なチームと対戦するという日々を繰り返していた。レベルはそこそこであったが、地域に根付くクラブということもあり、様々な伝統やしきたりを感じることが多くあった。アルゼンチンと日本の最も決定的なサッカーにおける違いは、『情熱』であり『激しさ』である。

 このクラブチームにはミルコ、ビクトルという2人の主な監督がいた。ミルコは以前アルゼンチンの有名なクラブでもプレーした経験があり、ビクトルはその親友で子供の頃からのチームメートということである。当時、彼らはチームで唯一の外国人だった私に心遣いをしてくれたことを記憶している。彼らはシーズンが始まる前のプレシーズン(準備期間)は、選手希望をする人間が多いという理由から、ある伝統的かつ特殊な手段をとって選手の淘汰を試みていることを外国人の私に伝えてくれた。選手を淘汰するということは、100人以上のプレーを希望する選手から15人の『情熱』と『激しさ』を持った選手を選ぶということでもあった。


『泥だらけのグラウンド』

 ミルコとビクトルは準備期間にあたるプレシーズン用に、ある特別な練習環境を用意していた。もちろんこの全てを私はシーズンが始まってから知らされるのだが、非常に興味深い方法であった。まず、プレシーズンを行なう前に彼らは地域主催、大学関係のサッカー大会やトーナメントを主催して、プレシーズンへ向けてある程度印象に残った選手などを記憶しておく。この段階では非常に設備の整った環境でのゲームや大会が多いし、あか抜けた環境の中で参加者が伸び伸びとプレーする。

 

 そして選手登録を控えたプレシーズンの立ち上がり、100人を越える希望者と共に練習場に到着した。さすがはサッカー大国である。どの選手をみても、テクニックもあるし、体つきも大きく、何よりヤル気に溢れていた。

 

 不思議なことにプレシーズンを行なうグラウンドは、クラブが使用できる非常に環境が 良好なグラウンドからバスで10分位離れた場所にあった。ライトは薄暗く、グラウンドは泥と生えかけの芝で、ボコボコのグラウンドであった。正直、日本にはこんなに劣悪な環境はないと覚えている。ブエノスアイレスには良好な芝生のグラウンドや室内練習場でさえ余るほど存在するのに、この100人を超える選手達がプレシーズンを行なう場所は、この泥だらけのグラウンドであった。

 

 このグラウンドでは激しいプレーでこけると、すぐに全身が泥だらけになるし、しっかりと走り込まないと、すぐに足が滑ってしまう。また、地面が平らではないために、テクニックを発揮するには非常に難しいグラウンドだ。その中でも、光ったテクニックを持った選手や勇敢な選手だけが輝くという仕組みのようである。とにかく私達はその劣悪なプレシーズンの練習環境に驚かされた。


『冷たいシャワー』

 この練習場は秋口で冷え込むのに、シャワーは水しか出なかった。シャワルームは水道のパイプを切ったようなチューブから、水が出るだけで、薄暗く衛生的でもなかった。周辺には売店もなければ、一般の人や女性などが立ち入る雰囲気からは程遠い、いわゆる『スラム街』のような環境をミルコとビクトルはプレシーズンのために意図的に選んでいたのだ。もちろん不満も言う青年もいれば、風邪をひく選手も多くいた。私は帰り道が長いので、着替えとタオルを持っていって、家に帰るまではシャワーを控えて、汗でぬれた服だけを素早く着替えて、体調には気を遣っていた。この1ヶ月以上続くプレシーズン中、監督達はほとんど選手と会話を持たない。話す内容と言えば、簡単な指示だけであった。もちろん理由は簡単で、最初から100人と話しこんでも仕方がないために人員を淘汰してから詳しい話はしようということだ。とにかく、以前東京に住んでいた私にはこの環境の厳しさは衝撃そのものであった。月、火、木曜日はこのスラム街のグラウンドで“泥サッカー”という日々が続くが、それは明らかに選手の根性を試す『登竜門』であった。

 さて、この監督達は週に3回ほどこの粗悪なグラウンドで練習を行ない、金曜日には室内グラウンドでフットサルのように敏捷性の高く、パスワーク中心の練習を取り入れていた。ここでは粗悪なグラウンドでは不可能な、正確なパス技術を重点的に練習させており、最も「練習らしい練習」という印象を受けた。当然、この練習だけに出たいという青年達も何人かいたが、泥グラウンドの練習に参加していない選手は全く相手にされないのである。

 ミルコは私に、練習には毎日スネ当てを前と後ろの両方つけるように忠告してくれた。アルゼンチンでは、外国人には負けないというエリート意識が高い国民性もあり、またライバルを蹴落とすこともサッカーでは当たり前のため、私の負傷を心配してくれたのだった。実際、このクラブでの練習時は世界に知られるようなスター選手達からは想像もできないような荒く、激しいプレーの連続であった。口論なども激しく行なわれ、黙ってプレーでやり返すか、本当に平常心を保って練習を続けるか、さもなくば喧嘩寸前ということは多くの選手の間でも見られる現象であった。ここに南米サッカー大国のハングリー精神がはっきりと見ることができた。

<ブエノスアイレス近郊にある“泥だらけのグラウンド”の写真。日本にもないような劣悪なグラウンド、冬の夜は薄暗い照明の下黙々とトレーニングに励む姿が印象に残った。>



『固いパン』

 1ヶ月が過ぎて、メンバーを固定する時期になると、自然と練習に参加する顔ぶれは20人ほどに減っていた。この1ヶ月で去っていった80人の方が、私なんかより格段にサッカーの技術や体力に長けていたと今でも確信している。しかし、この過酷な練習環境に嫌気がさしたのだろうか、または違うチームを探したのだろうか。

 

 結局、この残った22人で新しいメンバーが形成されることになった。実は20人の内の10人は前シーズンからの選手であった。そうやって形成されたメンバーで1年間を戦うことになり、晴れてクラブのグラウンドに足を運ぶことができた。ここでミルコとビクトルが選手を集めて残したコメントを、私は今でも心に残している。

 『今日から練習を始めよう。君たちは同じような情熱を持っているから、この場所で一緒に練習できる。技術的な問題はないと信じている。あとは勇敢であるか否かの問題だ。“ボールを蹴って遊ぶ”と“サッカーを戦う”ということは全く別次元の事柄なんだ・・・20年前に私が実家を離れて、住み込みでプロとしての道を歩むようになった頃、最初の半年はクラブ側の意図で冷たいシャワーと、固いパンを食べさせられていたことを記憶している』

 ミルコやビクトルは時代を超えて、まだ若い私たちにアルゼンチンの伝統的な競争思考や規律意識を伝えようとしたのだろう・・・

 

 最初の公式戦は首都ブエノスアイレスからバスで1時間半ほど離れた小さな街のチームとの対戦であった。スラム街のような煙の立ち込める、街外れのある一角にあるグラウンドにたどり着いた。芝生はボコボコで、不思議と最初のプレシーズンの期間に通ったあの練習場に似ていた。

 試合開始直前、グラウンドで20人の選手達は円陣を組んで聖書の一部分を3分間ほど祈り始めた。私はその引用部分を全く知らなかったので黙り込んでいたが、その祈りを聞いているうちに、彼らの伝統と情熱に深い感慨を覚えたことを今でも思い出す。その初戦は、1-1で引き分けに終わったが、試合内容は不思議と全く記憶していない。


<写真右上がミルコ、左端がビクトル、右下2番目が筆者>


馬場 源徳(ばば もとのり)

 1981年長崎市生まれ。上智大学比較文化学部卒業。アルゼンチン・ベルグラーノ大学南米文学科修了。東京、ブエノスアイレス、バルセロナから台北を経て、現在スペインに拠点を置く。スペイン語・英語・中国語を中心に、翻訳家、通訳としても活動するフリーランスコーディネーター。ボールスポーツを通しての国際交流、青少年教育を中心に研究。異なる文化環境で培った社会経験を活かして、日本と世界の国際交流に貢献することを目標とする。好みの分野はボールスポーツに限らず、紀行文学、国際社会、ITテクノロジーなど。