台湾のフットサル発展に生きる人達
2012/09/18
台湾のフットサル発展に生きる人達
今年11月にタイで開催されるフットサル世界選手権2012、アジア王者として臨む日本代表にとってもスペイン人監督のミゲルロドリゴ氏の改革を試す重要な大会となりそうだ。さて前回大会にあたる2008年ブラジル大会は皆様の記憶にまだ新しいかもしれないが、2004年に台北で開催された世界選手権については覚えておられるだろうか。
*台湾でのフットサル
台湾といえば親日家で、温暖な気候、開放的な人々、のどかな風景や夜市の喧騒のイメージが強いかもしれない。人気スポーツはバスケット、野球であり、サッカーはまだまだ認知度の低いマイナー競技だ。多くの人々にとって、サッカーですら人気のない台湾で、どのようにしてフットサル世界選手権が行なわれたのか疑問に思う方も少なくないだろう。同大会から8年が過ぎた現在、台湾の人達がどうやってこの競技と向き合っているのかを特集してみたい。
筆者は2011年に約9ヶ月間、台北市フットサル協会で仕事をさせていただいた経験があり、現在に至るまで同協会と親交を保っている。当時から台湾のフットサル発展のために心の限りお手伝いなどに奮闘させていただいたが、毎日とても温かく、真剣に接していただいた皆様にたいして感謝し尽くせない。また自身の活動拠点がスペインでもあるため、台北からスペインに帰国する時はいつもサッカー先進国と後進国の差を感じとり、いろいろと考えさせられる事も多かった。
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*情熱にあふれる指導者
そのようにサッカー文化の薄い台湾にも、スペインに負けじと毎日フットサルに真剣に取り組む「臺北市五人制足球協会」*(台北市フットサル協会)が活動している。スパルタ練習、毎日夕方から夜中まで使用できるフットサルコート、そこに毎晩集う40人程のフットサルのみを練習する青少年たち。表現が正しいかは定かではないが、ブラジルの田舎町のフットサルコートの雰囲気にどこか似ている。
台北市北投区、観光では陽明山、北投温泉などで知られる台北の中心から北へ10kmの場所にこのフットサル協会がある。8年前の世界選手権を影から支え、国内初のフットサル専門クラブ(台北フットサル協会管轄)、小中高生の国内リーグの管轄、中国大陸のプロクラブとの交流戦などを情熱と努力で実現させた人達だ。その現場で指揮を取る代表者が張監督である。
台湾のサッカー代表でも活躍した張監督は、引退後国内サッカーの指導者となっていた。そして当時フットサルが盛んだったベルギーサッカー協会の指導者たちのアドバイスを受けて、サッカーの基礎技術にも大きく役立つフットサルを台湾に大衆競技として普及させる夢を抱くようになる。関係者各位の尽力もあり、FIFAの協力を得て2004年の世界選手権を主催すると同時に、台北、台中などの各地からフットサルを真剣に練習したい子供達を受け入れる育成体制と現協会の基盤を築いた。
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*父親的存在
また張監督は、母子家庭の子供達、近所で不良と呼ばれそうな少年達、学問が苦手な少年、または純粋にサッカーやフットサルを練習したい子供達を協会に受け入れている。スパルタ教育のもと少年達を更生させ、ボランティア事業、フットサル大会などの普及事業に従事させる。その代わりに大学の推薦枠や内定を確保して、生徒の進学を手伝っている。張監督が推薦する大学は体育大学であり、選手は教員、フットサル指導、または選手としての可能性を与えられる。毎日の厳しい指導による監督という存在を完全に越えて、張監督は多くの選手にとって父親的存在なのだ。
これまで張監督は少年選手達の片親として、2000年からもう12年もの間、土日も休まずに毎日あらゆる年代の子供達に厳しく指導をしてきた。平日は試験前以外は休みなどなく、土日は2部練習が当たり前だ。また、練習がなければ選手達は社会奉仕などの課題を与えられる。何と練習が休みになるのは年にたったの15日ほどであり、「テレビゲームをやるくらいならフットサルをやれ!」と張監督は現在に至って熱血指導を行なっている。夏休みも子供達をフットサル場に寝泊まりさせて、朝練、掃除、勉強、昼寝、昼練、夜練という合宿を行ない、1つのフットサルファミリーを作り上げたのだ。
*マイナースポーツの発展のために
8年前の世界選手権、張監督が率いる台湾代表は大会優勝国のスペイン代表やイタリア代表の強豪たちとの試合を経験した。台湾代表は一勝も挙げることはできなかったが、今でも張監督の協会事務所には当時のスペイン代表やイタリア代表との試合球が大切に飾ってある。当時の台湾代表の選手は、張監督が毎日全力を注いで育て上げた第一世代の選手たちでもあった。そして、試合会場でボールボーイ(球拾い)をしていた第2世代、当時は幼かった今の高校生が第3世代と続いている。印象に残るのは、協会のフットサルコートの壁に記念壁画が作られていることだ。世界を代表する選手に台湾の選手たちが挑んだ8年前が記念されている。
これまでに張監督が育てた台湾のフットサル人材は、国内の指導者、クラブの経営者、現役の選手と幅広い。高校生までは張監督の下でのスパルタフットサル教育が義務付けられているが、大学以降は各自に将来の決断を任せている。もちろん毎日の厳しい練習に耐えかねて、または精神的に疲れきって逃げ出す選手もたくさんいる。台湾の学生はあまりスポーツに興味はなく、同年代の他の学生がアルバイトや趣味に時間を費やす中で、決してマイナースポーツに精力を注ぐことは容易ではない。それでもこの台北フットサル協会は、様々な形で選手たちが同競技の運営や発展などに携わりながら、アルバイトやまたは将来の可能性を模索できるような環境作りにも力を注いでいる。
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*地域社会貢献のために
さらに張監督は、地域社会発展のために2011年の夏から「フットサルを通しての自閉症改善プログラム」にも従事している。台北市の自閉症の子供達を毎週末に協会のフットサルコートに集め、若い選手や指導者たちに自閉症の子供たちとマンツーマンでのボール遊びを通しての交流機会を設けている。この活動には私も参加させていただいたが、他人とのコミュニケーションが取れない子供たちを、徐々にフットサルに慣れさせるという非常に人間味のあるプロジェクトだ。損得ぬきに子供たちを平等に愛する器がなければ、決してなし得ないものだ。
<台北フットサル協会の主な活動の内容は以下の通り>
*小中高生のフットサル全国大会の運営
*審判の派遣、会場の設営など
*サッカースクールや学校への指導者派遣
*サッカークラブとの強化トレーニング
*市内の小中学校への体育インストラクターの派遣
*各フットサルクラブの設立及び経営
*中国大陸でプレーするプロ選手の輩出
*台湾国内の教育過程にフットサルを導入する努力
(現在は楽楽球というフットサルに似た競技が張監督の尽力もあり
*国内の小中高生の過程に普及し始めている)
*毎週行なわれる自閉症の子供達のリハビリプログラム
*社会人向けフットサル大会運営の協力
*農村部の少年を都市部に順応させるプログラム
このように張監督が台北市フットサル協会で手掛けるプロジェクトは幅広い。そして彼は、台湾では数少ない情熱と行動力を持ってフットサルの発展に身を捧げる人間だ。そしてまた、彼の信念とスパルタ教育を受けて育った若き指導者、選手たちが今の台湾での同競技の歴史を着実に作り上げている。歴史や伝統のないものを定着させるためには、確固たる教育が必要だ。その意味で張監督は、台湾フットサルの第一人者といえる。彼を筆頭に力を尽くす同協会の方々の熱意には敬意を示したい。
なお筆者が2011年に協力のサポートをしている間にも、台北フットサル協会は日本からのゲストの方々達と指導者レベルでの交流を積極的に行ない、また2012年6月には、スペインの審判養成スクールのインストラクター2名をスペインから招待して、国際審判講義を実施している。その時には筆者もコーディネーター、技術通訳としてこれらのイベントを支えさせていただいた。この「国際審判講議」や「自閉症改善プログラム」については、後日詳しく紹介したいと思う。
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