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2013-5-27

「台湾高校生によるフットサル強化合宿」について

2013/05/27

台湾高校生によるフットサル強化合宿
強化遠征を通して学んだ日本という国

 2011年初頭、私は一人でスペインから台湾に向かった。目的は明確で、①スペインで学ぶフットサル文化を台湾の人達と共有すること、②自分の中国語運用能力を向上させること、③台湾という親日家の島国を理解することであった。長年のスペイン生活から台北の桃園空港に到着した瞬間は、どこか懐かしいアジアの喧騒と熱帯のアスファルトの匂いがしたのを覚えている。そこから1年間、私は毎日ひたすら台北市でもとりわけ厳しくフットサルを練習する「和平高校」、「清江中学」、そして国内の優秀な選手たちを育てる「台北フットサル協会」において育成年代のトレーニングや選手管理を担当した。

 当時の私にとって、スペインのフットサルから得た経験、知識、情熱などを彼らの「システム改革」という形で還元するための貴重な1年間となった。私は2011年に台北市で2つの年代を指導するようになってから、台湾の選手たちには、①常にスペイン式の戦術トレーニングを積ませ、②常にスペインプロリーグをビデオ教材などに導入する努力をした。その背景には東欧の国々や日本のフットサルが目指す先には、スペインが存在するという事実があった。また日本代表のフットサル監督にスペイン人のミゲル氏が就任しており、まさに時代の流れを象徴するかのようなタイミングであった。

<台北での実習時代。文化やコミュニケーションの問題はそれほど感じられなかった>


 私が台北で過ごしたこの1年間はまた、日本から応援に駆け付けていただいた指導者の方々にも大きく助けられた。そしてスペインでお世話になった方々と共に、台湾という場所を通してフットサル競技と向かい合う素晴らしい機会となった。毎日の生活に追われて多忙であるものの、非常に充実したフットサル実習を多様な側面から体験できたことは、大切な財産ともなった。そして2012年に私がスペインへと帰国してからも、スペインの指導者を台湾へと招聘したり、台湾の少年チームがスペイン合宿を行なうなど多くの交流を手掛ける足掛かりにもなっている。

 続いて2013年の1月末には、台湾のフットサル高校生選抜チームが日本の東京へと1週間の強化合宿で来日した。選手総勢25名、年齢は14―17歳が中心のメンバー、目標は2012年にAFCアジア王者に輝いた日本のフットサル環境の学習であった。私自身が台湾での実習時代に毎日指導した選手がメンバーの半数を占めており、教え子の来日は心より嬉しく思った。私も下準備をスペインから計画、チームの来日に合わせて日本へと帰国、全日程を同行した。日本では台湾高校生チームの受け入れにあたり、実に多くの人々に協力していただき、この場をお借りして感謝の気持ちを再度表明したい。

<2013年の来日メンバー。お隣の国”日本”には大きな刺激を受けたようだ>


 あっという間の10日間であったが、台湾の選手、スタッフ、そして私自身も、今回のフットサル強化合宿を通じて多くの事を学ぶ機会となった。今回のコラムでは、フットサル競技を通じて学んだ日本という国について考察してみたい。

*フットサル強化遠征を通して学んだ日本という国

① 町田ペスカドーラとのあまりにも刺激的な遭遇

 2013年1月18日よりスタートしたこの台湾を代表するフットサルクラブによる日本遠征。来日初日から豪華にも、Fリーグの町田ペスカドーラのサテライトチームに対戦相手を務めていただいた。練習試合では日本代表として活躍した滝田学選手らも参加しており、まさに格上との対戦となった。

 結果こそ2-5と惜敗したものの、台湾では敵なしだった高校生からすると、日本のFリーグのクラブとの初遭遇はあまりにも刺激的だった。競技への姿勢、経験、設備、環境、その全てが日本は明らかに台湾を上回っている。それは台湾で実習を務め、スペインに住む私にも分かっていたが、選手団の心には大きく印象に残ったようである。

 この初戦を終えて選手たちから試合後に出た言葉は、日本人のスポーツに対する「積極性」という言葉であった。試合の準備、アップ、試合でのアクション、激しさ、コミュニケーション・・・その全てが「日本人は積極的」と台湾選手団は口を揃えて言った。台湾チームを連れて来日した張監督も、「日本の選手は常に積極的な態度をもって、前向きにフットサルと向き合っている」と絶賛していた。

<刺激的な遭遇となった町田B戦。選手にとっては大きな財産となる>



② 東京ラルゴFS、ネクソFCとの同世代対決

 初日の興奮が冷めやらぬ2日目、午前中は明治神宮や原宿などを観光した。東京の町並みは台湾の高校生からしたら、あまり違和感のあるものではないようで、買い物などを大いに楽しんでいた。夕方からは東京で精力的にフットサル育成に力を注ぐラルゴFS、そしてサッカークラブのネクソFC(旧東京ベイFC)との対戦となった。ネクソFCなどには同年代の選手が多く、体力、スピードなど実力は拮抗した。非常に見応えのある試合に、3クラブとも素晴らしい経験を積むことができた。

 台湾のスタッフを驚かせたのは、青年達の試合内容だけではなかった。ラルゴFSの鈴木監督は、少年チームとの対戦結果などをチェックシートに細かく記録するなど、指導者としての積極性を台湾の高校生たちに示していた。またネクソFCの豊島代表や同クラブのコーチ陣も、台湾高校生に対して自らスタッフチームを結成して練習試合を行なった。このように選手のみならず、指導者を含んだ日本人のスポーツへの積極的な態度は、2日目を終えての台湾チームの反省会でも度々話題にあげられた。やはりサッカーが台湾よりも大きく発展した日本には、指導者たちもサッカーに類似点の多いフットサルに対する理解、そして愛情が深い傾向にある。指導者とフットサルとの距離感が、台湾よりも日本の方がより身近に感じられると表現できるだろう。

<練習試合のあとは整列から”一礼”する。文化的には日本と台湾は近い>


③ エスポラーダ北海道VS町田ペスカドーラ

 台湾と異なり、日本ではFリーグというフットサルのプロリーグが存在する。アジアでは競技発展に向けて台湾よりもずっと先を走るのが、2012年アジアカップ王者でもある日本だ。大会運営、会場設営、ファンサービス、グッズ販売・・・試合内容以外の多くのことに、選手団は興味深く注目していた。なお町田ペスカドーラは、台湾選手団を試合に招待するなど、実に好意的な対応を見せてくれた。またエスポラーダ北海道のスタッフの方々も、選手たちに記念品を手渡すなど、両クラブともに非常にオープンかつ友好的な出迎えをしていただいた。このようなスポーツを通して感じる隣国の親切が、子供達にとっても大切な思い出となるだろう。

 日本のFリーグ会場には、選手カードやマグカップなどが販売されている。またクラブのカタログなども揃っており、情報サービスなども充実していた。さらに試合前には、地元のサッカーラブを招待して前座試合を催すなど、地元のスポーツイベントとの関わりも大切にしている印象を受けた。その上タイムアウトやハーフタイムには、クラブのチアリーダーが大勢登場して派手に演出するなど、プロスポーツとしての経営の意気込みも感じ取ることができた。このような試合会場の運営システムなども、台湾の選手やスタッフは非常に興味深く観察していた。

<町田ペスカドーラのハーフタイムの演出。試合の運営なども大きな刺激となった>


④ 浦安バルドラール少年チームとの対戦

 そして迎えた練習試合の4第戦目は、Fリーグの浦安バルドラールの下部組織との対戦となった。この対戦もまた刺激的なものとなった。年齢では台湾の選手より1、2学年下の浦安の少年達、それでも果敢に試合に挑む姿勢には脱帽した。この対戦で台湾の選手たちが学んだのは、スポーツにおける「日本人の団結精神」であった。ボールの奪い合いなど、非常に激しいプレーも見られた中で、浦安の少年達は何よりも”チームスピリット”を終始見せ続けた。

 浦安の少年達は、試合中に味方選手の危険なプレーがあると、味方選手に向かって「相手に謝って」などの掛け声もあり、スポーツマン集団として形成された成熟度を感じ取ることができた。試合後にはジェスチャーで台湾の選手たちとジョークを交わし、感謝の意を相手に伝えることをお互いに厭わなかった。台湾の指導者達もこの姿には感銘を受け、スポーツと社会教育が深く関わる日本社会に対して惜しみない褒め言葉を送っていた。

<浦安少年チームとの記念撮影。日本の”団結精神”を肌で感じた台湾の選手達>


⑤ コート運営、体育館での自主練習

 練習試合や試合観戦以外にも、日本における体育館やフットサルコートの運営といった、「スポーツの経営管理システム」にも台湾の選手たちは興味深々であった。まず選手たちを驚かせたのが、フットサルコートの多さである。東京では至る所にフットサルコートがあり、イベント運営会社やスポーツ団体に貸し出したりするビジネスが普及している。台湾では「会社員が仕事帰りに駅ビルの屋上のフットサルコートでプレーする」という発想が全く存在しない。ましてや日本のように「個人参加も可能」というシステムは不自然にすら思えるようだ。台湾では公園のバスケットコート(無料)に人が集まるぐらいであるが、見知らぬ人達が有料で即席チームを形成してプレーするというアイデアは新鮮に映ったようだ。

 このようなビジネスシステムに驚くだけではない。フットサルコートの料金も、台湾人にとっては驚きの対象となった。日本ではもちろん快適な設備が整っているが、小さめのコートが1時間1万円を超えるレンタル料金にはショックを受けたようだ。またその値段にもかかわらず、大勢のスポーツを楽しむ人々の姿も台湾では考えにくい。日本におけるランニングブームについても、東京のような大都市でもランニングできる環境や体制が整っていることに感銘を受けていた。なおアジアの国々では、環境問題やスポーツに対する理解の問題から、大都市ではなかなか日本のようにスポーツに励む人の姿を見ることができない。

 しかし「フットサルの練習が許可されている体育館が非常に少ない」という意味では、日本も台湾も大差はないようだ。台湾ではごく僅かの小中学校のみが、室内体育館のフットサル使用を認めている。ゴールなどを片付ける、靴を体育館で履き替える、挨拶をする、ゴミを持ち帰る、時間厳守で行動する・・・というように、社会的側面でのルールでは台湾と日本は類似してもいる。それでも利用面でのルールなどは日本の方が明確にされており、この事はスポーツに限らず公共機関の全体に共通している。

<東京都庁付近に宿泊した選手団。朝の通勤ラッシュなども体験した>


⑥ 日本代表、高橋健介の実践指導

 特記すべきことは、2日間の厳しいチームトレーニングを挟み、日本のFリーグを代表する選手が台湾の選手達を直接指導しにやって来たことだ。スペインでもプレーした経験を持ち、現在は浦安バルドラールでプレー、日本代表として3度のW杯を体験した高橋健介選手だ。偶然にも9年前のW杯2004年台湾大会、高橋選手が自身W杯を体験したその大会でボールボーイを務めたのが、今回来日した選手団の少年達でもあった。今回は日本では「クリニック」などと称される練習会を、この高橋選手に行なってもらった。

 日本ではクリニックという指導イベントが盛んに行なわれることを、読者の皆様はご存知だろう。日本ではスポーツを学ぶために、プロの選手などを招聘して数時間の指導を行なうことが最も一般的だ。今回は台湾チームの選手たちに、日本において可能な限り高いレベルでの現役指導者を招聘するという試みを用意した。台湾ではフットサルの人気が増しており、将来は来日した彼らのような選手が国内で「クリニック」という指導を行なう可能性があるからだ。

 クリニックが始まると、高橋選手は自身の知識と経験を活かし、順序立った素晴らしいトレーニング指導に徹してくれた。スペインリーグ、多くの国際大会、代表選手として積んだ経験が滲み出るような素晴らしいクリニックだった。アジアのフットサルチャンピオンである日本代表において、最も経験を多く積んだ高橋選手との交流に台湾チームも大興奮の時間となった。台湾の次世代を担うであろう彼らには、実に貴重な財産となったはずだ。

<臨機応変に選手のレベルを見て練習メニューを組み立てた高橋選手>


⑦ ペスカドーラ町田との合同練習

 強化遠征最後の1月23日、台湾チーム総勢25名から、実力、才能、将来性に長ける4名が、町田ペスカドーラの関野監督に直接指導をしていただくチャンスを得ることになった。台湾の選手の中でもパフォーマンスに優れた数名に、町田サテライトの選手、トップチームの選手に交わりトレーニングを共にしてもらうという試みだ。外国のクラブでプロリーグの監督から直接指導を受ける、プロの選手から直接アドバイスをもらう機会をいただき、台湾の青年達にとっても忘れられない経験となった。

 この時選ばれた4選手に対して、町田の選手たち、そして関野監督からも非常に素晴らしい評価をいただいている。台湾に帰国してから毎日のトレーニングや選手権などを通して、この4選手は各年代を引っ張るような存在になるだろう。是非ともこの海外で得た刺激的な経験を、自分達が所属するチームに還元して欲しい。また町田の選手の方々には、他のアジア圏内の選手と交流する機会を楽しんでいただけたら幸いだ。

<日本のプロクラブの指導を体験する台湾の選手たち。さすがに緊張していた>


⑧ 強化遠征を通して学んだ日本という国

 多くの人達に助けられ、大成功に幕を閉じた日本でのフットサル強化合宿。台湾の選手やスタッフ達にとっては、この上ない刺激の毎日となった。日本のフットサル環境などから多くのことを学び、台湾に帰国してからは今後の競技発展やスポーツ文化の形成に貢献して欲しい。そしてこのフットサル交流を通して新しい刺激や必要性を学んだのは、必ずしも台湾側だけではないとを私は願っている。アジアのボールスポーツを牽引する立場に立とうとする日本にとっても、アジア諸国からの優秀な選手の発掘や、他国のクラブとの提携など、この先多くのスポーツ行事を通して国際化を進めることに対する興味付けとなればと思っている。

 今回の遠征を通じて、台湾人と日本人のメンタリティーにはそれほど大きな文化の差がないと改めて実感した。①試合中の相手選手との駆け引きが、スポーツマンシップに従っていること。②自己主張が行き過ぎず、集団での団結精神に優れている。そのような理由から、エキサイトしたり駆け引きがヒートアップすることは全くなかった。台湾がなぜ「親日家の島国」と呼ばれるかが身にしみて理解できた。

 国際化、少子化が進み、アジアからの移民受け入れが加速する新しい時代。最近では、アジア諸国への日本企業の進出なども増えている。世界的に見ると、ボールスポーツの文化は広がりを見せる傾向にある。わたし達は情報化社会、コミュニケーションの時代を迎え、飛行機による移動も手軽なものとなり、言語の壁も大きく改善された時代を生きている。そのような時代の中で、ボールスポーツが国境を飛び越えて人々を繋ぐ時代が訪れた。

馬場 源徳(ばば もとのり)

 1981年長崎市生まれ。上智大学比較文化学部卒業。アルゼンチン・ベルグラーノ大学南米文学科修了。東京、ブエノスアイレス、バルセロナから台北を経て、現在スペインに拠点を置く。スペイン語・英語・中国語を中心に、翻訳家、通訳としても活動するフリーランスコーディネーター。ボールスポーツを通しての国際交流、青少年教育を中心に研究。異なる文化環境で培った社会経験を活かして、日本と世界の国際交流に貢献することを目標とする。好みの分野はボールスポーツに限らず、紀行文学、国際社会、ITテクノロジーなど。