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2014-2-3

ラファエル・ナダルを育てた師匠『トニー・ナダル』

2014/02/03

ラファエル・ナダルを育てた師匠『トニー・ナダル』について

 『ラファエル・ナダルはテニス界最高の選手だ。彼はスポーツ選手という領域を越えている。ラファエルの生き方、そして振る舞いは彼にしか表現できない・・・ラファエル・ナダルは人生の哲学を持っている。決して後ろに引き下がらない。彼は常に前進する力を持っている。そして彼は試合ごとに強くなる。努力を知り尽くした男だ・・・ラファエル・ナダルは謙虚で、親切で、モラルも備えている。他のスポーツ選手とは比べ物にならない存在だ』

 先日スペインの新聞記者、ルベン・ウリアがこのようにラファエル・ナダル選手を絶賛している記事を目にした。なかなか面白い記事で、ラファエル・ナダル選手の生い立ちなどについても書かれていた。それをきっかけに、筆者はこのラファエル選手がどのようにして成長したのかに興味を抱くようになった。テニス界の数々のタイトルを手に入れて、若くして成功したラファエル・ナダル。彼はその謙虚さでも有名であり、”努力のたまもの”としてスペイン国内外でも愛されるスポーツ選手だ。テレビや広告では当たり前のように目に入る存在だが、ここで忘れてはならないのがラファエル・ナダルの師匠であり叔父でもある”トニー・ナダル”の存在だ。スペイン国内ではトニーとラファエルの師弟関係はよく知られた事実でもある。今回のコラムでは、このラファエルとトニーの師弟関係から探ってみよう。


“ナダルにとって、努力こそが全て”

 スペイン・スポーツ界でラファエル・ナダルといえば、”努力の象徴”と表現される。そしてこの哲学を植えつけたのが、他ならぬ師匠のトニー・ナダルだ。トニーは”努力こそが全て”という哲学を植えつけた。またその反面、スポーツ界における成功には天から与えられた才能が必要不可欠ということを認めてもいる。トニーは反骨精神の固まりだ。人生における鉄則は『逆境を乗り越えるために、努力を怠らないこと』と本人は常に公言している。


 『正直に、生まれつき天から授けられた才能によりスポーツ選手の成功が左右されるのは、紛れもない事実だと思う。それでもラファエルには、努力、苦しみ、そして積み重ねにより成功が成し遂げられると信じてほしかった。努力や苦しみを乗り越えてこそ、人間として成長することが可能となる。それが私達の生きる哲学でもある。わたしはラファエルのテニスコーチとして評価されるよりも、彼の精神面での育成者として評価される方が嬉しいよ』



“自己追求と自己犠牲の精神”

 『当たり前のことだが、チャンピオンになりたいなら他人の何倍も努力するしか方法はない。いつもラファエルには言い聞かせたんだ”どんなに才能があっても、じっと座ったままでチャンピオンになれる奴なんて存在しない”ってね。わたしはラファエルに対してとても厳しい教育を施してきた。彼が本当に幼い頃から”苦悩と努力なくして栄光はあり得ない”と口うるさく指導してきたんだ。自転車と同じで、脚を止めれば転倒してしまうのが人生だ。この世には”天からのプレゼント”など存在しない。全ては自分の手で勝ち取るものだとね』



“選手である前に、人間であること”

 トニーの言葉にあるように、ラファエル・ナダルが選手として活躍することよりも、やはり1人の人間として成長して欲しかったようだ。トニーが人間としての成長を重視していることが理解できるエピソードがある。ラファエルが16歳の時、この師弟はスペインの北部・サンタンデールという場所で行なわれたテニス大会に参加していた。最終日、試合を終えた休憩時間にトニーはラファエルに以下のように質問した『ラファエル、お前は街の中心部にある大聖堂は見たのか?』ラファエルが大聖堂を未だに見学していないと伝えると、トニーはすぐに『昼食の時間を使って大聖堂の周りを散歩して来い』と指示を出した。トニーにとって、ラファエルにはスポーツ選手である以上に、文化、社会に興味を持った豊かな人間であって欲しい・・・そのような思いが強かった。


“スペインの頑固オヤジ、最近の若い奴は無礼だ”


 ラファエル・ナダルの師匠であり叔父でもあるトニー、実はスペインでも頑固オヤジとして有名のようだ。多くのスポーツ指導者などは、このトニーのことを”古きよきスペイン人の模範”とも表現したりもする。内戦や苦しい時代を過ごしたトニーの世代は、精神的には日本の団塊の世代に似ているとも言われており、まさに伝統的な指導者の側面をもっている。そのトニーはこの時代の変わり行く青少年教育について、彼なりの見解を示唆している。

 
『この時代、子供達にとっても、努力をする意味や尊敬することの大切さが薄れている。現在の青少年を育て上げるには、いくつかの約束事を守る必要がある。それが”①人間形成と②上下関係の尊重”の2つだ。人間形成とは、指導者が子供に対して必死に努力して、規律を与えることで人間を育て上げること。そして上下関係とは、青少年が年上を模範として尊敬して従うように教育することだ』


“現代の少年達は完全に甘やかされている”

 『スポーツには技術、戦術などよりも大切なことがある。それが日々を生きる姿勢、人生に対する態度だ。人生には複雑な公式もなければ、魔法の宝くじも存在しない。生きていると、楽しいことや嬉しいことばかりではないだろう?現代の少年達は完全に甘やかされている。彼らの態度は至って消極的だ。欲しいものが何でも手に入るなんて、全く危険な時代にいる。私がラファエルを指導する時は何よりも、彼の人間性と謙虚さを教育することに神経を使ったね』


“日本人にも近いような感覚、上下関係の大切さ”


 そしてトニーは日本人にも近い上下関係やリスペクトの大切さを、スペイン人ながらも訴えかけている。スペインでは上下関係がかなり崩壊しており、現在の若者の間では敬語などが適切に使用されなくなっている。そこでトニーは、年上の経験を尊重することの重要性を強く訴えかけている。


 『ベテランが持っている”長年の経験”とは、なかなか習得しがたいもの。年上の人間の方が長けているという考えは、ある意味合理的であるはずだ。わたしはラファエルに対して、実に厳しい上下関係の教育を行なってきた。とにかく選手が若いうちにこの尊重のメンタリティーを教育することで、その後の選手指導が本当に楽になる。今となって、ラファエルはとても立派に育ったと思う。まあ彼は昔から、決してライバルや年上に対して失礼なことをする選手ではなかったがね』



“トニーのユーモアについて”


 この頑固そうなトニーだが、やはりスペイン人独特のユーモアがある。厳しい反面、なかなか面白い冗談などを言うことでも有名だ。ラファエルがデビューしたての頃、トニーは彼に対して『もしもお前が試合に負けそうになったら、俺の魔法で雨を降らせて試合を中止にさせてやる。心配するな、勝負の神様は味方しているぞ』と言ったという話が有名だ。その試合では結局、雨が降りそうになったものの、試合が中止されることなくラファエルが勝利した。


 『ラファエルを興奮させよう、というよりは”自分も楽しみたい”という感覚で冗談をよく言うんだ。よくラファエルを相手に”俺が若い頃はパリやローマの大会で優勝したぜ”とか勝手に嘘をついたりもした。自分も陽気に楽しみたいから冗談を言うんだよ。特に意味はない。楽しいから冗談を言うだけさ』




“過去の勝利は、過去の遺物と同じ”


 読者の皆様もラファエル・ナダルの試合をテレビでご覧になったことがあるだろう。ラファエルはどの試合でも闘志に満ちている。試合中に見えるその気迫は凄まじい。どの試合もそうだ。多くのタイトルを勝ち取っても、ラファエルのあくなき向上心には限界が見られない。ラファエルは既に多くのタイトルを勝ち取ったが、どうやってモチベーションを保っているのだろうか?トニーは以下のように、ラファエル・ナダルという選手のモチベーションについてコメントしている。


 『まだラファエルが勝ち取っていないタイトルもある。最近もタイのバンコクで敗戦したよね。まだまだ彼は勝利に対して貪欲になれるはずだ。モチベーションを保つために大切なのが、”過去の勝利は、過去の遺物”という考えだ。”遺物”という表現が言い過ぎの場合は、”過去の置き物”とでも表現しよう。ラファエルは過去に縛られない。だから毎試合のように、心の底から湧き出るモチベーションがある。彼は毎週、同じように高いモチベ―ションを発揮することができる。これは彼の大きな武器であり、そして彼の人間形成にも大きく関っている。彼の勝利を追及する姿勢は、他の選手とは比較にならないよ』



“全ての試合が、どれも同じように大切”


 『ラファエルが若い頃から、私は重要な試合以外にも、あらゆる試合が大切と信じさせてきた。パリで行なわれる大会も、バンコクでの試合も同等に重要ということを彼は心の底から信じている。だからラファエルはどこにいてもモチベ―ションを保てる。そして何よりも、自分の好きなテニスで生計を立てる喜びをしっかりと噛みしめている。まさかプロのスポーツ選手がモチベ―ションを失うなんて、そんなことが可能かな?自分の好きなことで給料をもらえるなんて、そんな幸せなことはないよね』


“テニス選手なんて、ちっぽけな存在であるべき”


 その競争力の高さと同時に、ラファエル・ナダルは非常に謙虚な性格の持ち主としてスペイン国民から愛されている。そしてラファエルの謙虚さの裏には、トニーの教育哲学がしっかりと見えている。トニーによれば、プロのスポーツ選手は何のスターでもない”一般人”ということだ。あるインタビューを通して、トニーはその理由を以下のように語っている。

 『世界には強敵ばかりだ。もちろん謙虚な姿勢が大切だ。テニスの世界でも強敵は多いし、もしテニスという領域から一歩でも外にでれば、世界はもっと広くて大きい・・・ スポ―ツ選手はただの一人の人間であって、テニスなんて人間の世界にとって必要不可欠な存在ではない。つまりスポーツ選手なんて”ちっぽけな存在”ということ。一般人なんだ。だからお茶の間でスポ―ツ選手が必要以上に偉ぶることは、実に馬鹿げた話だと思う。スポーツ選手が謙虚であることは、当然の義務なんだ』



“厳しい指導者としての葛藤、狂気と冷静さの両方が必要”


 またラファエル・ナダルが若くして才能を発揮し始めても、トニーら親族はラファエルを普通の少年と同じように育てた。だがテニスのトレ―ニングだけは非常に厳しかった。トニーは当時の葛藤をこのように述べている。

 『スポーツ教育などにおいて、幼い少年に対して必要以上に厳しく接していると、それが正しいのかと迷いが生じたりもする。それでも私が長年の経験で理解できたことは、真のエリ―トを育て上げるには、やはり狂気と冷静さの両方が必要だということだ。どんな競争世界でも、ごく一般的な努力では、頂点にはたどり着けないよね』



“スポーツには余計なものがつきまとい過ぎる”

 トニーはテニスで優勝したからといって、偉そうにする選手は愚か者だと断言している。彼によれば、『鬼ごっこで優勝したからといって、世間で偉くならないのと同じこと』という理屈だ。彼が力説する”スポーツと社会生活を切り離して考える必要性”について、わたし達も再考してみたいものだ。

 『ラファエルには口うるさく説教したが、スポーツ界には余計なものが多すぎる。普通のテニス選手なのに、マスコミがまるで神様のように選手を扱って、人間でも選手でもないような扱いを受けてしまう。そのようなマスコミの影響などを受けて、精神的に堕落してしまうスポーツ選手は沢山いる。これは本当に深刻な問題なんだ。私達は”テニスの試合が終わったら、完全に普通の人間に戻る”という謙虚さを持つべきだ』


“常に質素であり、謙虚であること”


 『私は昔からラファエルには決して新しいボール、高級のラケットなんか買って与えなかった。人生に完璧なものなど存在しないだろう。万全のコンディションでテニスをすることは、わたしの人生の哲学と矛盾している。完璧な人生なんてあり得るか?そんなものは不可能だろう。生きることは、不完全なもの。そして進歩するには、逆境を乗り越えなければならない。逆境における苦労があるからこそ、人は強くなれる。逆境とはつまり、完璧というコンセプトからは程遠いものだ。だから質素であり、謙虚であるべきなんだ』



“贅沢は敵だ”

 『ラファエルにはフェラーリみたいな車には乗って欲しくないね。高級車とかが似合うようにはなって欲しくないんだよ。まあ最近はラファエルの判断基準を信じるようになったがね』




“ラファエル・ナダルに虚栄心はない”

 『ラファエルはスペイン南部の”マナコル島”という田舎育ちの人間だ。今でも昔の友人たちと、素朴に触れ合うことを楽しみにしている。彼の性格なら、無駄に威張ることもないから安心だ。世間から誉められようが、批判されようが、ラファエルは自分らしく振舞うことができる』


“目標は常に高いところに持つ”


 スペイン全国少年テニス大会で優勝したラファエルに対して、トニーはある驚くべき行動をとったことがある。全国大会を制覇して歓喜にあふれるラファエルと家族・・・そこにトニーはある1枚のネームリストを持って口を挟みに登場した。そしてリストに記載されている前回大会までの、過去20大会の優勝者の名前を呼び始めた。過去20回の少年チャンピオンの名前を呼び終わると、トニーはラファエルを見て問いただした。『ラファエル、お前はこの20人の少年達の名前の中で、何人の名前を聞いたことがある?』その時のラファエルには僅かに1、2人の名前しか記憶に残っていなかった。そこでトニーは明確に、少年大会を制覇したラファエルに対して”目標はもっと高いところにある”と伝えたのだ。



“ラファエル・ナダルの成功の秘訣を要約すると?”

 『成功の秘訣についてだが・・・簡単のようで難しいとは思うが”心に決めて、追求すること”だろう。もっと簡単に説明すれば、単純に努力を繰りかえすことだ。努力が全て。私はラファエルが10歳の時からそんな教育をしているから、私達にとっては自己追求を続けることは当然の日課なんだ』



“ラファエル・ナダルの引退時期について”

 『まさか引退のことを考えながらプレーする選手、監督なんていないだろう。そんなネガティブなことを考える時間はないよ!』


“ラファエル・ナダル本人の哲学について”


 それではラファエル・ナダル本人のインタビュー記事などからラファエル本人の姿を考察してみよう。師匠トニーの哲学が、くっきりと刻み込まれている。


 『テニスでは最後の一球までが勝負だ。全てのボールが形勢逆転のためのチャンスで、その積み重ねが勝利につながる。つまりテニスは真剣勝負だ。しかし試合に仮に負けたとしても、それが終わりではないよ。僕たちは自分に罰を与えるようなことはしない。なぜなら人生には試合で負けるよりも、もっと悲惨なことはいくらでもあるからだ。テニスの試合は結局は”スポーツゲーム”であって、人生の勝敗には影響を与えることはない』- ラファエル・ナダル

 トニーの教えを受けたラファエル・ナダルは、いつも自分の限界に挑戦している。対戦相手を越えるのではなく、自分の限界を超越する努力をしている。そこに、彼がスペインで”禅マスター”などと呼ばれる理由がある。


 『試合におけるライバルは、もちろんネットの反対側にいる選手だ。でも試合が終われば、そのライバルはもう存在しない。そして僕はライバルのいない、普通の1人の人間に戻るんだ。ここで最も大切なのは”将来を考えて自分自身といかに競争し続けるか”ということだ。もしライバルがいなくて、自分と競争することを知らなければ、人はすぐに進化を止めてしまうんだ』




馬場 源徳(ばば もとのり)

 1981年長崎市生まれ。上智大学比較文化学部卒業。アルゼンチン・ベルグラーノ大学南米文学科修了。東京、ブエノスアイレス、バルセロナから台北を経て、現在スペインに拠点を置く。スペイン1部の名門サンティアゴ・フットサルで活動中。ボールスポーツを通しての国際交流、青少年教育を中心に研究。異なる文化環境で培った社会経験を活かして、日本と世界の国際交流に貢献することを目標とする。