「トウキョウ」で世に出た私のコラム
2013/11/05
恥ずかしい話だが、小生の拙稿にもまだ需要はあるらしい。過日、おもしろいことが起きた。古い友人、同業の人などから数件、電話やメールが舞い込んだ。
9月8日、日本時間未明の出来事がその発端だった。IOC会長(当時)ジャック・ロゲ氏が、ぶっきらぼうに放った「トウキョウ」の一言が全ての始まりである。2020年東京オリンピックがやって来る。
しかしながら、歴史的な歓喜のこの日、日本では一般紙の休刊日に重なった。日曜日ゆえに、もともと夕刊はない。この件に関して、発行はままならなかったのかと、世間から、いや、包み隠さず言うなら業界内部からも疑問を呈する声はあった。しかし、それはすんでしまったこと。ここではあえてこれ以上は触れない。
さて、ということで、各紙のほとんどがベターな選択枝として「号外」の発行に至った。東京新聞もその例にもれない。その号外紙面で小生はコラムを書くことになった。いや、書いていたと言う方が当たっている。「トウキョウ決定!」を受けてから書き始めたのでは、速報が命の号外では意味をなさない。内輪の話になるが、決定ならGO、落選ならボツになる「予定稿」はおよそ1週間前に出したものである。当選を予想して構想を練り、取材をすませなければならない。しかし、それは新聞記者の宿命なのだ。私は多くの時間を、東京中日スポーツで過ごすが、東京新聞を発行する中日新聞東京本社の編集委員である。だからそこに、なんの違和感もない。
かくして、ジャック・ロゲ氏の「トウキョウ」の一言で、小生のコラムは「まぼろし」を逃れた。回りくどい言い方になったが、そのコラムに、いくばくかの需要があったということである。当然のことながら、号外は宅配されない(一部地域で宅配に挑んだ社はあったが…)、スタンド売りもない。主要駅頭や繁華街で人の手によって配布される。だから、その部数も限られる。それを、どこで聞いたか、読みたいと言ってくれた人たちがいる。
そこで、今回はあえて、以下にそのコラムの全文を紹介させていただくことにした。私の東京オリンピックに寄せる思いを感じ取っていただけたら幸いである。
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2020年・東京オリンピアード。僕らは、新たな文化、遺産の構築者となり、時代の目撃者となる。 ◇
時は流れる。滔々(とうとう)とした流れの中に生きながらえたものを文化、遺産という。1964年10月10日、秋晴れの中、19歳の早大生、坂井義則が点火した第18回東京オリンピックの聖火は、まさに、敗戦国日本が世界に再び「日本」を印象づける炎となった。そしてそれは、半世紀近くを経た今も、文化として遺産として息づいているのである。 ◇
2020年東京・第32回オリンピアード。新たな文化と遺産が生まれる。僕らは後生に、何を残せるのだろう。 |
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満薗文博さんはスポーツジャーナリストOBによる社会貢献グループ「エスジョブ」に参加されています。 ☆S-JOB(エスジョブ)公式サイト |