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2014-4-10

「21世紀枠」に見るチャンピオン・スポーツと教育スポーツ

2014/04/10

 阪神甲子園の駅から甲子園球場に続くおよそ70メートルのエントランス脇には、8本の桜の古木がある。3月の終わり、センバツ高校野球の取材に入った頃、枝は固いつぼみに被われていた。それが、4月の始め、決勝が近づくにつれ白さを増し、やがて決勝に合わせたように満開になった。
 春と夏に行われる甲子園の高校野球は、多くのファンを抱え風物詩となっている。ここ数年間、春と夏、欠かさず甲子園を訪ね、コラムを書いてきた。まだ若かった頃、かつておよそ10シーズンほど取材したことがあるが、若者の息吹忘れ難く「聖地巡礼」を再開した。
 夏は1915年(大正4年)、春は1924年(大正13年)に始まり、今年、それぞれ96回、86回の歴史を刻む。戦争で中断しながら、復興を果たしてきた。球児たちは年々、その顔を変えるがプレーの真摯さは変わらない。夏は都道府県で行われる地方大会を勝ち抜いた49校(北海道、東京は2校)にだけ出場の栄誉を与えられる。一方で、春は前年秋の各地区大会の成績を参考に日本高校野球連盟が選抜する仕組み。こちらは32校が出場する。だから、47都道府県からくまなく代表が出ることはない。同じ甲子園の高校野球大会でも、それぞれに特色があって、いわゆる「棲み分け」が出来ている。
 さて、私は、その「特色」を大いに尊重している。とりわけ、春に面白みを感じている。確かに、春は夏に比べて小ぶりである。新3年、2年生だけが出場し、まだ肌寒い中で行われる分、球児たちの完成度は決して高くない。だが、ワクワク感はたっぷりあるのだ。その大きな一端を担っているのが「21世紀枠」の存在である。2001年に、21世紀のスタートを機に発足したこの選考法がセンバツを飛躍的におもしろくしたと考えている。
 高校野球は誰のためのものか? 甲子園をプロ野球、人気の東京六大学、東都大学野球などへ進むためのステップ台にという球児はけっこう多い。だが、甲子園ははるか向こうにあって無縁、という球児たちははるかに多い。全国で4000校もの学校が地方大会に挑むが、大半が甲子園切符を失うのである。しかし、彼らの情熱を無視することなどあってはならない。勉学と精神と体力を高めた彼らの存在こそ、社会の希望である。
 優秀な中学生を集めてチームを作る。それは甲子園への近道に違いない。だが、そういうことが出来ない学校が大半である。そして、それは公立学校に多い。限られた地域から集まってくる球児たちが作るチームには手作り感がたっぷりである。そして、そのチームワークは涙が出るほど絆に彩られている。2001年から今年までに出た21世紀枠の参加校は大半が、いわゆる文武両道の公立校で、その戦績は、初戦に限れば11勝25敗。通算すれば15勝36敗である。初戦の壁がいかに厚いかが分かる。
今春は、21世紀枠で3校が甲子園の土を踏んだ。都立小山台、和歌山県立海南、鹿児島県立大島である。小山台は、準優勝した大阪・履正社に大敗、大島は優勝した龍谷大学平安に同じく大敗、海南は徳島県立池田に惜敗した。海南、池田はかつて甲子園で優勝した人気チームで、大きな注目を浴びた。
 恒例の入場行進で、21世紀枠の3校は、どこの学校より大きな声援を浴び、彼らは誇らしげに胸を張って歩いた。大島高校は奄美大島からやって来た。アルプスの大応援団を取材したが、全校生徒に加え、OB、島の出身者らゆかりの人たちが感激に涙をこぼす場面に何度もでくわした。アルプス席4000人、ゆかりの人たちを加えたら、この日1万人が甲子園にやって来たという。
昨春は神村学園、昨秋は樟南といった甲子園常連校に打ち勝って鹿児島大会4強入りした。この春、東大、京大はじめ国公立大に62人を送り出した、まさに文武両道の学校だった。桜満開の閉会式には、粋な計らいが待っていた。大島に「応援団最優秀賞」が授与されたのである。団長の秀岡裕治君が「夢にも思わなかった」甲子園に再び姿を現したのだった。彼は言った「初戦の時は島からフェリーで鹿児島まで12時間。その後、新幹線で甲子園にやって来た。今回は飛行機を用意してくれました。飛行機だと近いですねえ」。
 甲子園に遠い球児たち、それを取り巻く友人や、ゆかりの人たち。僕らは、チャンピオン・スポーツにばかり目を奪われてはいけないと、思う。頂点を支えているのは、実は幅広いすそ野である。ピラミッドは強固な底辺がなければ築けない。スポーツもまた、同じである。



満薗 文博

1950年生まれ 鹿児島県いちき串木野市出身 
学生時代の夢は「事件記者」「作家」
座右の銘は「朝の来ない夜はない」
鹿児島大学教育学部卒
大学まで陸上競技部(走り幅跳び、三段跳び)に所属

【経歴】
中日新聞東京本社(東京中日スポーツ)報道部長を経て現在、編集委員

【オリンピック】
1972年ミュンヘン大会から2012年ロンドン大会まで全ての大会の報道に携わる。88年ソウル、92年アルベールビル冬季、同年バルセロナ、96年アトランタは現地で取材

【著書】
「小出義雄 夢に駈ける」(小学館文庫)
「オリンピック・トリビア!〜汗と笑いのエピソード〜」(新潮文庫)
「オリンピック面白雑学」(心交社)
「オリンピック雑学150連発」(文春文庫)

【執筆】
「見つける育てる活かす」(中村清著・二見書房)
「小出監督の女性を活かす『人育て術』」(小出義雄著・二見書房)など


満薗文博さんはスポーツジャーナリストOBによる社会貢献グループ「エスジョブ」に参加されています。
S-JOB(エスジョブ)公式サイト