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2013-8-19

「ハンドボール競技におけるヒント」 取材対象:フアン・カルロス・パストール氏

2013/08/19

「ハンドボール競技におけるヒント」

 スペインハンドボール界にその名を轟かせるフアン・カルロス・パストール監督は、1995年にスペインハンドボールのバヤドリッドを率いると、2004年から4年間に渡りスペイン代表監督を兼任した。また2005年チュニジアで行なわれた世界選手権ではスペインを優勝へと導くと、翌年にスイスで行なわれた欧州選手権でも準優勝につけて見せた。2008年の北京オリンピックでは惜しくも銅メダルに終わったものの、同監督の采配には世界中が注目した。今回のコラムでは、このフアン・カルロス監督の意見を参考にしながらハンドボール競技におけるヒントを探ってみたい。

 


『室内ボールスポーツではモラル、些細なことが勝敗を分ける』

 室内ボールスポーツでは、精神的なモラルが大きく影響を及ぼします。そのため、きめ細かく選手の緊張をほぐすことも重要です。トーナメント戦やカップ戦の決勝などでは、リーグ戦におけるミーティングスピーチの構成や内容を変更することを忘れないでください。特に一発勝負の試合では、細かい指示を与えるよりも、”落ち着いて、試合を楽しむ”ことを選手に求めた方が効率がよいでしょう。

『試合前の選手は、思ったよりも緊張していない』

 また私の経験からですが、ハンドボールの大事な試合の前日や当日の朝など、選手達は意外に”緊張していない可能性”を忘れないで下さい。多くの経験を積んだ選手達は、ある程度のレベルに至れば試合慣れしてしまいます。そのような選手達は『早く試合が始まって欲しい』と待ちきれない思いだったりします。選手の立場になって考えることは容易ではありませんが、試合に向けた心理状態について考察する必要性があります。選手の心理状態を読みとれる指導者でなければ、高いレベルでは長続きはしないでしょう。

『ホームゲームは最大の勝機であること』

 実力の拮抗するリーグ戦などにおいて、ホームゲームこそ最大の勝機です。例えばハンドボールスペイン代表を率いてデンマークのような強豪と対決すると想定した場合、ホームならばスペインが勝利する確率は倍増します。全く同じ対戦相手なので不思議ですが、私の経験上この”ホームの利”は絶対的な事実です。逆に言えば、ホームゲームには良好な結果が求められます。プレッシャーでもありますが、それでも勝率を考えるとホームゲームの方がアウエーよりも私にとっては1000倍勝率を計算しやすいと思います。アマチュアの指導者の多くは、”ホームで敵を迎え撃つことのアドバンテージ”を理解していないように思えます。

『サポーターあってこそのクラブ』

 そしてクラブが決して忘れてはならない大切な存在が”サポーター”です。サポーターなくしてクラブは存在できません。サポーターはもう一人の選手として試合にも加勢してくれます。サポーターがいるから勝負には掛け値があり、審判にプレッシャーをかけてくれる。彼らは目に見えない最後の1人の選手なのです。サポーターを大切にすることを忘れているクラブもいるのではないでしょうか?スポンサーも、サポーターの理解なくしては勝ち得ることができません。是非サポーターのクラブにおける立ち位置などを再考してみてください。

『ハンドボールにおける3つの戦術論』

 それでは少し戦術的な話をしましょう。ボールスポーツにおいて、エリートレベルになれば、多くの対戦相手もより完成度の高いゲームを展開します。そのため、戦術的な以下の3つのポイントを覚えておきましょう。

<ハンドボールにおける戦術的重点>


① センターラインにおける攻防

*エリートレベルにあるチームの場合、1対1の能力は攻守ともに拮抗して、センター(中央ライン)には優秀な選手が揃うことが一般的です。まずはそのセンターで発生するカウンター、攻守のバランス、そして数的有利・不利における状況における優劣が勝敗を分けるでしょう。ボール競技では当然のことですが、センターを制すれば試合を支配できます。このことを大前提として以下のポイントを考慮しましょう。

② サイドにおける攻守の切り替え

*次に大切なポイントが、サイドからの攻守の切り替えです。ここでウィングの選手、そして攻撃のトップポジションを担うピボットの選手や戦術が果たす役割の重要性は測りしれません。サイドでの攻守の切り替えも致命的な問題です。サッカー、バスケット、フットサルなど他の種目でも全く同じ問題が発生するでしょう。

③ ゴールキーパーの活躍

*そして最後にゴールキーパーの存在に言及しておきます。ゴールキーパーが存在するハンドボール、フットサル、ホッケー、水球などにおいて、ゴールキーパーが占める重要性は計り知れません。普通の選手とは全く異なる”ゴールキーパーの重要性”を理解しましょう。ゴールキーパーの役割、扱い方を指導者は考慮する必要があります。トレーニングされていないゴールキーパーにチームを救ってもらうことは不可能です。しかしキーパーの活躍によってチームが勝利することは頻繁に起こります。彼らのトレーニング環境をしっかりと確保して、ゴールキーパーをチームの土台として育て上げるべきでしょう。

 

 

 さらにハンドボールの戦術には、セットプレーを含めた多くの決まり事があります。私の場合、選手には徹底して”戦術における約束ごと”を守らせます。しかし最後にハンドボールの勝敗を分けるのは、やはりゴールを決める”フィニシュ能力の精度”にあります。またもう1つの要素は、試合の後半を高いパフォーマンスで戦い抜くための”トレーニング準備”です。このトレーニング準備とは決してフィジカル要素に限らず、決断能力、集中力、状況分析能力にも深く関係しています。

 

『試合前に最も心配することは』

 私が試合前に最も心配しているのは、ケガ人を含めたチームコンディションです。このチームコンディションによって、招集するメンバーや戦い方がガラッと変わります。また特に”守備にどのような選手を配置できるか”というポイントは、ゲーム展開を左右する大きなポイントとなります。当然のことですが、試合前に一番気になるのはライバルではなく”自軍のコンディション”なのです。

『ハンドボールの指導者とは』

 私はあくまでも自分が”ハンドボール指導者”だと考えています。つまり私は選手にとっては”指導者”であり、選手の試合におけるフォーメーションを決める係りではありません。つまり私の大部分の仕事は毎日のトレーニングにあり、毎日の計画と選手に対するトレーニングでの要求にあります。トレーニングから試合を想定して、選手に情報や課題を与えることが指導者の任務です。私の意見ですが、フォーメーションを決めることは指導者の役割ではありません。またハンドボールの性質を考慮すれば、思いつきでは何の目標も成し遂げられません。指導者にとっては、毎回のトレーニングこそが全てだと考えています。

『スペインハンドボールの問題について』

 私達は”スペインに世界最高のハンドボールがある”と確信しています。しかしスペインハンドボールの大きな問題は、残念ながら私達スペイン人の国民性にあります。スペインにおける指導者に対する選手、フロント、サポーターからの批判や要求は、過度に高く不条理でもあります。ヨーロッパの他国では、トップレベルのハンドボール監督という役職は尊敬されるものです。監督にサインを求めるような暖かいサポーターは、スペインでは少数派です。熱狂的な国民性だからこそ、心強いサポートもあれば、辛い要求もあるのです。

『スペイン経済危機について』

 スペイン経済危機が与える影響についてですが、ハンドボールに限らずどのボールスポーツも同じ様な苦境に立っています。昔は優秀な選手をお金をかけて獲得することが可能でしたが、この数年間でその状況は一変しました。多くのセミプロのクラブでは、経済危機に伴って若くて安い選手が増加しています。クラブの選手、指導者、運営、育成部門・・・あらゆる部分での人材や物質の”再利用”が必要とされています。赤字になって消滅したボールスポーツクラブは無数とありますが、スポーツ界で一丸となってこの”再利用”というコンセプトを考えてみましょう。

『プレシーズンキャンプについて』

 スペインではほとんどのボールスポーツが、1ヶ月ほどの夏休みを終えるとプレシーズンに入ります。このプレシーズンは、長いシーズンを戦い抜くためにチームの土台を構築する大切な時間です。クラブによっては1ヶ月ほどの長丁場でこのプレシーズンに打ち込む場合もあります。ここではケガ人を出さないように、しっかりとチームの原型を形作ることが必要です。またシーズンの幕開けに向けて新しい選手がクラブに溶け込むためにも、プレシーズンは必要不可欠な時間です。

 

『ハンドボールにおける難題とは』

 私にとってアマチュアレベルでも、プロレベルでも、ハンドボールの課題は不変のものに思えます。ハンドボールにおける最大の課題は、トランジッションつまり”攻守の切り替え”と、それにともなう注意力の向上です。目まぐるしく変化する状況に対応することが大切です。ゲームに集中するだけでなく、競技レベルへの適応、フィジカルコンディションなど・・・さまざまな要素がトランジションには必要とされます。そして戦術練習なども大切ですが、トップレベルになれば短期間で多くの試合をこなす体力、そしてメンタルの強さも必要となります。

『ハンドボールの審判について』

 スペインのハンドボールでは、審判も非常に高いレベルを保持しています。審判による技術的な判断ミスは少なく、私は監督としては安心してジャッジを信じてるタイプです。選手は場合によって審判に不服な感情を抱いたりもしますが、それでも試合に集中することを忘れてはなりません。それでも私は審判団に対して公平にジャッジすることを要求するのは、ハンドボールには欠かせないことだと考えています。審判団との駆け引きは、試合の一部分なのです。

『シーズンを戦い抜くためのポイントについて』

 シーズンを戦い抜くポイントは、集団プレーに徹することです。集団プレーに徹しながらハイレベルな戦いを続けるためには、チーム内での健全な選手のローテーション(交代や出場時間の配分)が必要不可欠となります。そして長いシーズンにおいて、ローテーションを行ないがら好成績を残すためには、全ての選手が100%の実力を出し切って戦うことです。同時にトレーニングでは全ての選手にチャンスを与えることが望ましいでしょう。また選手全員が出場するようなチームを形成することで、チャンスが誰にでも巡ってくれば、チーム内でのより激しい競争を助長することが可能となります。

 

 

『ハンドボールと競争について』

 全てのハンドボールの試合において、激しく要求して、戦うことが絶対条件です。私の意見では、スペインハンドボールにはたくさんの強敵が揃っています。世界最高のリーグであるというプライドを持って、全ての試合を本気で戦うことが大切です。サポーターは良い時も、悪い時も、クラブのことを応援してくれるでしょう。その代わりに、選手は最大限の能力を発揮して戦うことが義務付けられています。サポーターを失ったら、もうクラブには何も残りません。

『指導者としてのアドバイス』

 ハンドボールでは、1つのシーズンが過ぎるごとに、クラブは全く異なるサイクルに突入します。毎シーズンのメンバーや調子によって、チームの目標や限界ポイントが大きく変動します。指導者としてできることは、ただ各サイクルごとに最善を尽くして、しっかりと考えて行動し、経験を活かした決断をすることでしょう。

 そして最後に忘れてはいけないのが、サポーターが過ぎ去ったシーズンのことを記憶しているという事実です。クラブを去った選手は、過去のシーズンのことなど忘れ去るかもしれません。しかしサポーターの記憶の中には、実に多くの”過去の記憶”が残っているのです。

馬場 源徳(ばば もとのり)

 1981年長崎市生まれ。上智大学比較文化学部卒業。アルゼンチン・ベルグラーノ大学南米文学科修了。東京、ブエノスアイレス、バルセロナから台北を経て、現在スペインに拠点を置く。スペイン語・英語・中国語を中心に、翻訳家、通訳としても活動するフリーランスコーディネーター。ボールスポーツを通しての国際交流、青少年教育を中心に研究。異なる文化環境で培った社会経験を活かして、日本と世界の国際交流に貢献することを目標とする。好みの分野はボールスポーツに限らず、紀行文学、国際社会、ITテクノロジーなど。