次世代に伝えるスポーツ物語一覧

サッカー・三浦知良


 2009年3月14日。横浜FCの「キング・カズ」こと三浦知良がまた、記録を塗り替えた。J2リーグの対熊本戦でPKを決め、自身が持っていたJ最年長得点記録(41歳7カ月29日)を42歳と16日に更新。93年のJ発足以来17年連続ゴール、前身の日本リーグ時代から数えると実に20年連続となる金字塔を打ち立てた。
 三浦知良はサッカーどころ、静岡市生まれ。父も叔父もサッカー指導者で、サッカーが生活の中心になるのは自然の流れだった。しかし、三浦の情熱はサッカーが盛んな地においても群を抜いていた。82年、高校1年で静岡学園高校を中退し、単身ブラジルに渡り、プロチーム「ジュベントス」にサッカー留学。ブラジルサッカー界の英雄、ペレが在籍していた「サントスFC」と最初にプロ契約したのはそれから3年後のことだった。苦労を重ねながらも日本人としてリーグ戦初ゴールを記録するなど着実に成長を続けていた三浦に、日本からJリーグ発足の報が届いた。ブラジルで活躍しながらも、三浦の夢は「日本代表になってワールドカップに出ること」。この思いを実現させるために、90年日本に帰国し、読売サッカークラブ(現東京ヴェルディ)に移籍した。
 帰国以降、Jリーグと日本代表の両方で中心選手として活躍し、数々の実績を残した。94年にはイタリア・セリエAにアジア出身者としては初めて移籍(期限付き)するなど、アジアのトッププレーヤーとなった。サッカーのプレー以外にも、ゴール後のパフォーマンス、ファッション性、そして立ち居振る舞いで、“プロ魂”をアピール。サッカー少年の憧れとなる「プロ選手」をここまで具現化したのはカズが初めてだったのではないか。そしていつしか、「キング・カズ」の称号が三浦に与えられた。
 しかしながら、ブラジル時代からの自身の夢であった「日本代表でW杯出場」だけはいまだ達成できていない。94年のアメリカW杯・アジア地区最終予選で「ドーハの悲劇」を経験し、日本が初出場した98年のフランスW杯では、スイスでの直前合宿で本大会出場メンバーから漏れた。フランス大会以後も代表に召集されたが、2000年以降は代表からは遠ざかっている。
 2月26日に42歳を迎えてなお、「常に代表を意識している。サッカーをしている以上0%はないから」と言い切る三浦。サッカーに愚直なまでに真摯に取り組む姿勢を続ける限り、J最年長得点記録を更新し続けることは間違いないし、その先に代表が見えてくるかもしれない。三浦には「不可能」という言葉は似合わない…。=敬称略(有)