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サッカー・初出場の五輪で「ベルリンの奇跡」を演ず

 五輪におけるサッカー日本代表の活躍としては1968年メキシコ五輪での銅メダル獲得が最も華々しいだろう。だが、それに遡ること32年。日本サッカーが世界を驚かせる快挙を演じていた。36年ベルリン五輪。五輪初出場ながら優勝候補に挙がっていたスウェーデンを逆転で破る大金星をあげたのだ。

 参加は16カ国。日本は早大の現役、OBを中心に、慶大、東大らの選手が加わった構成で臨んだ。実力のほどは現地入りしての練習試合で初めて国際的に主流となっていた3バックシステムを目の当たりにしたというほどだった。それだけに1回戦でいきなり強豪スウェーデンとの対戦では、戦う前から勝敗は明らかと誰もが思っていただろう。

 予想通り試合はスウェーデンの一方的なペースで推移した。前半を終えて0-2。だが、どんな状況でも「決してあきらめない」という姿勢が奇跡を生む。後半に臨むスウェーデンには気の緩みもあったに違いない。日本はその隙を豊富な運動量でこじ開けていった。後半4分に川本泰三、同18分には右近徳太郎がゴールを決めて同点に追いつくと、流れは日本に傾いた。

 そして残り5分、相手GKと1対1となった松永行が決勝ゴールを決め、3-2。終盤のスウェーデンのすさまじい猛攻を何とか耐えしのぎ、大金星に結びつけた。「リードしてからの5分間、あれは長かったなあ」。フルバック堀江忠男は後にこう振り返っている。堀江は後に早大監督を務め、メキシコ五輪銅メダルに貢献した釜本邦茂、元日本代表監督の岡田武史らを育てる。その意味で現在に続く日本サッカーの基礎を築いた1人といえる。

 続く2回戦ではこの大会で優勝を果たすイタリアに0-8で大敗したが、「ベルリンの奇跡」と呼ばれた日本の五輪初勝利は、世界を驚かせた。そしていかにスウェーデンがこの逆転敗けを悔しがったか、を示す後日談も残されている。

 49年、日本で初めてノーベル賞(物理学)を受賞した湯川秀樹が授賞式出席のためにストックホルムを訪ねた際、現地の記者からサッカーボールを手渡された。スウェーデン人にとってベルリン五輪での逆転負けがいかに記憶に残っていたかを示すエピソードだ。さてサッカーボールを手にした湯川だが、その際、ヘディングをする格好をして拍手を浴びたという。=敬称略。(昌)