ラグビー・出会いが変えた人生
ケンカで学校を支配するはずが、なぜかジャージを着て、楕円形のボールを追いかけていた。いや、追いかけさせられていた、と言ったほうが正確だ。1976年春。伏見工業高校ラグビー部1年、山本清悟(しんご)。中学時代、京都じゅうに名をとどろかせた札付きの不良だった。
中学3年時ですでに身長180センチ、体重90キロの筋骨隆々の体格。弟分を引き連れ繁華街「弥栄(やさか)」でケンカに明け暮れ、酒をあおった。大人を簡単に打ち負かす強さに、「弥栄の清悟」と恐れられた。
勉強など無用。導かれるように、当時、県内中の不良たちが集っていた伏見工高に入学した。窓ガラスは割られ、教室にたばこの吸い殻が散乱する荒廃した世界。腕力で、その頂点に君臨するつもりだった。
だが、入学直後、なれなれしくよって来た風変わりなオヤジのせいで、予定は大幅に狂った。「お前、ケンカ強いやろ。ラグビーはルールのあるケンカ、そんなもんや」。ラグビー部監督の山口良治だった。荒れた学校を、一人で立て直そうと燃える“変人教師”。口車に乗せられ、いつのまにか入部させられた。
タバコで痛んだ肺では、息があがる。すぐに退部するつもりだった。だが、体を激しくぶつけ合うラグビーが性にあっていたのか。味わったことのなかった、仲間に必要とされる快感が身にしみたのか。いつしか魅力にはまった。2年生で全国高校選抜に選ばれラグビー界に名を馳せると、大学でも名選手として活躍。立派なアスリートに生まれ変わった。
現在は、高校教師としてラグビーを教えている山本には、今でも忘れられない記憶があるという。実は、訳あって母親のいない家庭で育った。弁当は山本だけがいつもなし。昼食は居場所のない、孤独な時間だった。ある日の昼休み、ひとりでぶらついていると、山口が近づいてきた。「ほれ」。妻に作らせたという、どでかいおにぎりを差し出し去っていった。ラグビーの才能だけではない。山口は、山本という人間を、内面にある寂しさを見抜いていた。優しさに飢えたワルが、1人の大人に魅かれた瞬間だった。
かつての自分とダブるのか、生徒にはよくこう語りかける。「どんなことでもいいから、目標を見つけて生きろ」。飾り気のない言葉に込める思い。あのとき、山口に出会わず、ラグビーに出会っていなかったら-。
鋭いまなざしは、こう言っている。「人は、変わることができるのだ」と。=敬称略(国)