柔道・山下泰裕とラシュワン
世界最強の柔道家、山下泰裕は焦っていた。1984年のロサンゼルス・オリンピック大会、無差別級決勝戦。日本のお家芸として、エースに敗北など許されない。その重圧の中、2回戦で右足を負傷した。準決勝までは持ちこたえたが、痛みはもはや限界に達していた。決勝の相手はエジプトのモハメド・ラシュワン。体重140キロの巨漢に、力の入らない右足を攻められたら…。結果は、容易に想像がついた。
試合開始の合図。早々にラシュワンが投げ技の「左払い腰」を仕掛けてくる。その瞬間、山下は体を引いて相手の投げをかわし、バランスを崩した相手を床に組み伏せた。押さえ込みの「横四方固め」。立つ力は、右足には残っていない。勝つにはこれしかない。上半身の筋肉をきしませ、必死に押さえつける。10秒…20秒…。ラシュワンの両腕の力が、観念したかのように緩んだ瞬間、やっと勝利に気がついた。
子供のように、顔をくしゃくしゃにして喜ぶ山下。だが、表彰台のてっぺんに上ろうとしたが、右足に力が入らない。無理やり足を上げようとしたそのとき、誰かの太い腕が横から伸びて、自分の身体を支えた。傍らを見やると、ついさっき打ち負かしたラシュワンが静かに笑っていた。
ラシュワンは、けがのことを知っていた。エジプトは柔道の強い国ではない。日本人の師匠を招き、嫌というほど練習を重ねてきた。世界最強の山下を倒せば、エジプトでは英雄になれる。豪華な家、高級車…あらゆる富と名誉が、金メダルを取れば手に入ることは分かっていた。
だが、師匠たちの立てた作戦を、ラシュワンは試合で実行しなかった。正々堂々と、全力で戦い敗れたことは間違いない。ただ、その作戦だけは受け入れなかった。「後悔はない。今、あの時に戻っても、そうはしないだろう」。堂々と、後に語っている。
ラシュワンが試合で仕掛けたのは「左払い腰」。師匠たちが指令を下したのは「右」の払い腰。つまり、拒否した作戦にはこんな意味合いだった。
「山下の、けがをした右足を攻めろ」―。=敬称略(国)