ラグビー・“大西魔術”
試合後のグラウンドで、選手が次々と観客に胴上げされる。夢のような一夜だった。突き刺さるようなタックルを大男たちに浴びせ続け、目の覚めるような速攻で相手陣に攻め込み、ラグビー創始国のイングランドに、日本代表が3-6の大善戦。1971年9月28日は、日本ラグビーの輝かしい歴史の1頁を、”大西ジャパン”が刻み込んだ日として、いまも語り継がれている。ラグビーは、体格に恵まれない日本人には不利な競技といわれる。だが、そんな定説に正面から挑み、結果を残したのが、大西鐵之祐だった。
フランカーとして早大ラグビー部で活躍した大西だが、指導者として一層の輝きを放った。伝説が始まったのは、1962年。関東大学対抗戦Bに転落した母校を救うため、2度目の監督就任を引き受けると、その年にBリーグで全勝優勝し、伝統の早明戦ではAリーグで全勝だった明大を撃破。その大躍進は”大西魔術”と形容されたが、海外のラグビー理論の研究を幅広く行い、独自の戦法を築き上げる才に長けた闘将がもたらした当然の結果だったといえる。
1966年には日本代表監督に就任。そこで大西ラグビーは、大きな花を咲かせる。体格で劣る日本人が、いかにして世界で戦うべきか。日本人の武器は何か。そこから導き出された理論が「展開、接近、連続」だった。ボールを早く展開し、相手にぎりぎりまで接近。それを継続する。筋力では劣っても、小回りが利き、持久力に優れた日本人の特性を生かすために-。説得力ある言葉を、情熱でもって語る指揮官がいれば、チームは1つにまとまる。大西ジャパンは1968年6月、オールブラックスジュニアを23-19で破り、1971年9月のイングランド戦での善戦という結果を残した。
サッカー日本代表の岡田武史監督は今年1月、この「展開、接近、連続」の戦法を導入する方針を明らかにした。秩父宮が揺れた夜から36年以上が過ぎたいまも、稀代の指導者が遺した理論は、競技の垣根さえ乗り越えた日本スポーツ界の指針として、燦然と輝いている。=敬称略。(謙)