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体操・遠藤幸雄、史上初の個人総合金メダル

 「むしろ海外でやる方が楽だと思った」。五輪で日本体操史上初の個人総合優勝を成し遂げた遠藤幸雄は当時をこう振り返る。後輩たちが28年ぶりの団体優勝を果たしたアテネ五輪から40年前、1964年東京五輪のことだった。
 ローマ五輪で団体総合優勝を果たし、続く東京では団体連覇は当たり前、個人総合も、という期待は大きく膨らんでいた。さらに個人的な思いも加わった。ヘルシンキ五輪の52年。秋田工高1年の遠藤は、市内で行われた郷土出身選手による体操の五輪壮行会で、「体操ニッポン」を支えた小野喬の華麗な演技に目を奪われた。この“出会い”が体操に向かう原動力になった。高校を卒業後、小野の母校、東京教育大(現筑波大)に進学し、体操に打ち込んでいく。そんな遠藤にとって、個人総合は特別な種目だった。目標としてきた先輩、小野が1956年メルボルン、60年ローマと2大会連続で、ソ連(当時)勢にいずれも0・05差で金メダルを阻まれ、タイトルを逃していたからだ。
 重圧に押しつぶされそうになる気持ちを鼓舞して臨んだ本番の舞台。遠藤は5種目を終えてトップ。残る最終種目は苦手のあん馬だった。「もともとあん馬は(みんなに)心配を掛けていた。それでも1点近く差があり、余裕あると思ったんだが…」。2度のミスを犯す失敗。「演技を終えたあと、なぜか子供のころに結核で亡くなった母の顔が浮かび、心の中で『何とかしてくれ』と祈ったことを覚えている」。9歳で母親を亡くし、中学、高校と保育院で育った遠藤が、肝心要なところで頼ったのが亡母だった。結果は2位に僅差での金メダルだった。
 悲願のタイトル。だが、涙は出なかったという。表彰台で瞳に熱いものが浮かんだのはむしろ平行棒で金メダルを獲得したときだった。種目別は個人総合でミスをしたあん馬を除く5種目でメダルの可能性があったが、「残すは平行棒と鉄棒だけ。個人総合優勝者が種目別を1つも取れないのでは情けないと感じていた」からだ。
 平行棒金メダルには後日談がある。「会場が沸いてね。理由を確認してもらうと、女子バレーボールが金メダルを取ったという。『河西さんやったな』と思ったら、ふっと肩の力が抜けてね。そのお陰かな…」。人懐っこい笑みが浮かんだ。=敬称略(昌)