次世代に伝えるスポーツ物語一覧

ソフトボール・4年の歳月が育んだ絆

 漆黒の空から落ちてきた雨が、緑の芝生を濡らしていた。2000年9月、シドニー五輪ソフトボール決勝。米国を相手に1-1で迎えた延長八回裏一死一、二塁、打球の行方を目で追ったマウンド上の高山樹里が、息をのんだ。
 好守で支えてきたレフト小関しおりの動きがぎこちない。落下点で構えたグラブが大きく動き、仰向けに倒れる姿が、スローモーションのように見えた。グラブからボールは転がり落ち、必死の返球も届かなかった。
 「(濡れた芝は)関係ありません。判断ミスです…」。責任を背負いこむ小関の肩を、仲間たちが優しく抱いた。そして監督の宇津木妙子も「選手たちは本当によくやってくれた。敗因は継投時期を誤った監督です」。4年の歳月をかけて作り上げた絆は、夢が潰えた瞬間も揺るがなかった。
 チーム一丸、全員で戦おう、がモットーだった。4年前のアトランタ五輪は4位。そのアトランタの半年前には前監督が突然辞任。その後の監督人事も迷走し、シドニーに向けてはどん底からの船出だった。
 実際、アトランタ後に代表チームを任された宇津木監督は、選手の目的意識の低さに驚かされたという。「あいさつさえまともにできない選手もいる。何のためにソフトボールをやっているのかが見えない」-。
 生活態度の改善から始めた。プレーでは基本の徹底を図った。練習後の後片付けから、合宿所のスリッパの整頓まで…。合宿も年間100日にも及んだ。「うるさかったと思いますよ。練習で疲れているのに、何でそこまでとね。陰では随分悪口も言われたでしょう」。だが、それでも選手は付いてきた。「この人を信じれば、強くなれる」と。厳しさとともに、愛情があったからだろう。そしてそんな監督を最年長の37歳(当時)、宇津木麗華が支えた。母親と姉御。この2人がチームの求心力でもあった。
 試合後の記者会見。決勝エラーをした小関に質問が集中した。胸が詰まり答えられない小関に代わり、“姉御”は「私たちは全員で一つのチーム。もちろん、小関は悲しいと思う。でも誰のせいでもないんです」。そして「金メダルには届かなかったが、胸を張りたい。監督にすごく感謝している」。
 表彰式後のベンチ前で、宇津木は監督に自分の銀メダルをかけた。それを待っていたかのように、始まった監督の胴上げ。悲願の金メダルにはあと一歩及ばなかった。だが、目標を一つに、気持ちを一つに戦った結果の銀メダルだった。=敬称略(昌)