次世代に伝えるスポーツ物語一覧

フィギュアスケート・伊藤みどり

 五輪の開会式で聖火を灯す大役は、開催国が誇る往年の名選手が担うことが通例となっている。1998年長野冬季五輪でその大役を務めたのは、92年アルベールビル五輪銀メダリストの伊藤みどり。安藤美姫の4回転ジャンプ、浅田真央のトリプルアクセル(3回転半)と、いまや高度なジャンプ抜きでは世界の頂点を狙うことができない女子フィギュアスケートだが、かつては芸術性だけが重んじられ、ジャンプ力が注目されることはなかった。その流れを変え、フィギュアスケートをよりスポーツらしくしたのが、伊藤だった。
 4歳でフィギュアスケートを始めた伊藤は、その才能を見抜いた山田満知子コーチの自宅に小学1年生から住み込み、徹底した指導を受け、1980年に小学4年生で出場した全日本選手権で3位に入り、あっという間に世間の注目を集める存在になる。高々と跳ね上がり、次々とジャンプを決める演技スタイルと愛くるしい笑顔は、海外で「TSUNAMI(津波)ガール」との称号を得た。そして、88年の愛知県選手権では、女性として史上初めてトリプルアクセルに成功し、翌89年の世界選手権ではアジア女性初の金メダルを獲得。続々と歴史を切り開いていった。

 その競技生活のクライマックスは92年のアルベールビル五輪フリー。伊藤は演技前半に予定していたトリプルアクセルで転倒してしまう。だが、「五輪でどうしても跳びたかった」との思いから後半に再び挑み、見事に成功。日本フィギュア界に初のメダルをもたらしたが、順位よりも、疲れがたまり成功率が低くなる後半にあえて再びトリプルアクセルに挑んだ不屈の精神こそが、世界中に感動を与えた。

 伊藤がトリプルアクセルを成功させてから今年で20年が経ち、現在は、伊藤と同じ山田門下生の中野友加里、浅田真央の2人が、トリプルアクセルを得意技にして世界の頂点を目指している。伊藤の努力と功績はしっかりと後輩に影響を与え、日本フィギュアスケート界の繁栄を陰で支えている。=敬称略(謙)