次世代に伝えるスポーツ物語一覧

卓球・荻村伊智朗

 卓球選手として、またコーチとしても輝かしい実績を積み上げた荻村伊智朗。しかし、荻村の才能は国際卓球連盟会長や日本オリンピック委員会(JOC)の国際委員長としての活動でさらに輝きを増した。
 都立西高校時代に卓球を始め、めきめきと頭角を現した荻村。1954(昭和29)年、ロンドンで開かれた卓球世界選手権で初優勝を飾るなど、日本のエースとして活躍した。世界選手権で12回、アジア選手権で8回、日本選手権では11回優勝しながら、現役時代からコーチも兼任し、世界チャンピオンを10人以上も育てる“優勝請負人”としての手腕も発揮した。
 1970(昭和45)年には日本卓球協会常任理事として、翌71年の名古屋での世界選手権に中国を復帰させようと奔走。70年に3度訪中し、当時の周恩来首相とも2回会談。結果、中国チームは世界選手権に復帰を果たし、米中国交回復にも結びつくなど「ピンポン外交」の立役者ともなった。
 もうひとつ国際的な貢献を果たしたのが、1991(平成3)年の世界選手権(千葉市)。1987(昭和62)年に世界卓球連盟会長に就任以来、韓国と北朝鮮の南北統一チーム結成は荻村の悲願だった。韓国に20回、北朝鮮に14回も足を運び、交渉を進めた。オランダでの連盟三役会で6人の大陸担当副会長から同意を取り付ける一方で、国内の関係者に統一チームの練習場所や合宿地の準備など、受け入れ体制にも余念がなかった。スポーツ界では初の統一チームとなった「コリア」が来日し、世界選手権決勝では女子団体が中国チームを下して優勝を果たした。「オギムラがいなかったら、これほどスムーズには進まなかった」とは、両国関係者の一致した荻村評だ。
 スポーツ界きっての国際派だった“ピンポン外交官”の功績は、「卓球で世界をつなぐ」という言葉通り、スポーツを通じて世界平和に貢献できることを示したことだろう。長野五輪でもその人脈をフルに生かし、日本に3度目の五輪開催を呼び込んだ。来年の2016年五輪開催地決定に向けて、東京五輪の招致活動も本格化する。荻村の精神が再び、注目される。=敬称略(有)