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サッカー・中山雅史、チームを鼓舞したプレー

 平成10年のFIFAワールドカップフランス大会、一次リーグのジャマイカ戦。既にアルゼンチンとクロアチアに敗北を喫し、決勝トーナメントへの道は閉ざされていたが、この日も、ジャマイカに2点を先行され、敵を追いかける展開となった。あきらめムードが漂う日本に後半29分、待望の1点が入った。日本のW杯初得点になったこの歴史的ゴールを奪ったのは、代表のムードメーカー、中山雅史(ジュビロ磐田)。呂比須の折り返しに反応し、「体のどこでもいいから、という感じで打った」執念のシュートは右太ももから放たれた。
 すっかり日本の「国民スポーツ」に定着したサッカーだが、日本のワールドカップ出場の歴史は浅い。初出場はフランス大会で、以後日韓大会(14年)、ドイツ大会(18年)の3回のみ。1930年に第1回大会が行われ、これまで18回を数えるW杯の歴史で言えば、出場回数3、決勝トーナメントにはそのうち1回しか進んでいない。日本はまだ「新興国」の部類に位置づけられるだろう。さらにいえば、代表の試合で幾度も窮地を救ってきた中山も、試合出場数は多くない。フランス大会予選終盤で代表に復帰したときには2年5カ月のブランクがあったし、アメリカ大会のアジア最終予選では大事な場面で結果を出す「スーパーサブ」として脚光を浴びたぐらいだ。
 しかしながら、中山のプレー、振る舞い、コメントは人々の記憶に残る。鬼気迫る表情でひたすらゴールを目指す貪欲な姿勢はチームメイトだけでなく、観客をも奮い立たせる。中山のプレーの根底にあるのは「もっとサッカーがうまくなりたい。常にレベルアップしていきたい」というサッカー少年そのままの純粋な気持ちだ。結果的に、代表試合出場数は53ながら、21得点を挙げる。フランス大会の年には、Jリーグでも最優秀選手賞、得点王、ベストイレブンの3冠を達成した。4試合連続ハットトリックという大記録を作ったのもこの年だ。のりにのった「ワールドカップイヤー」だった。
 実は、ジャマイカ戦のゴールの直後、中山は右ひ骨を骨折していた。それでも、痛みをこらえて走る。「担架が入ったら、時間がもったいない」。勝利への執念は消えていなかった。試合終了の笛が鳴るまで、走り続けた。普通なら、最高の美談である。しかし、中山の試合後のコメントは「骨折しても走れるんだな、ということと、僕が感じたのは『骨折してまで走ってはいけない』ということ。よい子は真似しないように」。いつもの調子で美談を打ち消した。
 フランス大会のチームメイトのほとんどが既に引退している中、40歳を超えた現在も現役にこだわる中山。先日も日本人のJリーグ最年長ゴールを更新するなど「記録」と「記憶」の両方を残し続ける。=敬称略(有)