競泳・鈴木大地 決断がもたらした金メダル
日本中があまりにも鮮やかな逆転劇に熱狂した。1988年ソウル五輪。日本に最初の金メダルをもたらしたのは、競泳男子百㍍背泳ぎの鈴木大地。一か八かの賭けでつかんだ栄冠だった。
予選を3位で通過し、メダルを射程圏にとらえた鈴木だが、その目はセンターポールしか見ていなかった。そのために鈴木陽二コーチが与えた秘策が、バサロの延長だった。潜水したままドルフィンキックだけで進むバサロは、速度が出るためにタイムは稼げる反面、著しく体力を消耗するだけに、後半に失速する危険性をはらむ。それでも、いつもは25メートルにしていた潜水距離を、30メートルまで伸ばした。金メダル候補のバーコフ(米国)が持つ世界記録が54秒51であるのに対し、鈴木の日本記録は55秒32。普通に勝負していたのでは、勝機はない。失敗すれば、銅メダルも逃すかもしれないが、あえてバーコフを動揺させるための作戦に踏み切ったのだ。
その狙いは見事に的中した。水面に浮上した段階で、バーコフと体ひとつ分の2位につけ、そのまま2位で50メートルを折り返すと、大きなストロークでじわじわと差を詰める。そして残り10メートル付近でバーコフに並び、混戦のままゴール。タッチの差での逆転優勝だった。タイムは世界記録と日本記録の間の55秒05。日本競泳界にとって、16年ぶりの金メダルだった。
余談となるが、日本競泳界は今年春、北京五輪で日本水泳連盟とのサプライヤー契約を締結していない英スピード社の「高速水着」レーザー・レーサー(LR)の着用を容認するかで揺れに揺れたのは、記憶に新しい。鈴木は金メダルを手に入れたこのレースで、水連の指定メーカーではない水着を着用していた。関係者によると、過去に好成績を残した縁起のいい水着の着用を求める選手サイドの意向を、強化スタッフらが受け入れたことで実現したものだが、鈴木陽二コーチは「あれから20年目に、まさかこんな問題が起きるとは」と振り返る。
日本水泳連盟は、現場の要望を受け入れ、北京五輪でのLRの着用を認めたが、あくまでも勝負にこだわった鈴木の姿勢は、現在の日本競泳陣にも引き継がれている。=敬称略(謙)