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テニス・熊谷一弥 日本初のメダル

 日本選手が五輪に初めて参加したのは1912年の第5回ストックホルム大会。4年後のベルリン大会は、第一次世界大戦のため中止となり、2度目の参加は20年第7回アントワープ大会となった。陸上、競泳、テニスの3競技に選手15人。ちなみに選手団長は初参加のストックホルム大会に続き、嘉納治五郎であった。
 ただ陸上、競泳では世界との差は歴然。競泳自由形に古式泳法で臨んだというのだから、その差もうなずける。そんな中、日本第1号メダルが誕生する。テニスに参加した熊谷一弥だった。シングルスで銀メダルに輝くと、柏尾誠一郎と組んだダブルスでも銀メダル。日本の五輪メダル獲得の歴史はここから始まった。
 陸上、競泳と違い、テニスの実力では当時、世界レベルにあった。というのも熊谷、柏尾はいずれも、当時、米国で勤務しており、テニス王国・米国で強豪選手相手の試合にもまれていた。特に福岡県大牟田市に生まれた熊谷は慶大卒業後、三菱合資会社(現・三菱東京UFJ銀行)に勤務し、16年に渡米。18年の全米選手権でベスト4、翌年の同大会でもベスト8の成績を残し、全米ランキングで3位に名を連ねていた実力者。五輪の結果は決して番狂わせではなかった。
 期待通りに勝ち上がったシングルス決勝では、南アフリカのレイモンドに7-5、4-6、5-7、5-7で敗戦。翌日のダブルス決勝も英国ペアにセットカウント1-3で敗れた。敗戦の理由の一つは雨だった。シングルス決勝当日は、試合途中から雨が降り出す悪天候で、熊谷は眼鏡がぬれて苦戦し、実力を発揮できなかったという。
 日本初の五輪メダル。それだけでも素晴らしい功績なのだが、当時の熊谷は優勝を目指し、狙ってもいたのだろう。著書「テニスを生涯の友として」の中で、こう振り返っている。
 「よりにもよって北欧の雨季を会期に選ぶなどという無頓着ぶりはオリンピック開催国にあるまじきセンスだ…」「この夜(決勝の夜)ほど私は悲憤痛恨の涙にくれたことはない。同胞の期待を裏切った後悔の念は、二重にも三重にも私の心を責めさいなんだ」-。=敬称略(昌)