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レスリング・吉村祥子 日本女子レスリングの先駆者

 北京五輪で、55㌔級の吉田沙保里、63㌔級の伊調馨が金、48㌔級の伊調千春が銀、72㌔級の浜口京子が銅と、2004年アテネ五輪に続き、全階級でメダルを獲得した日本女子レスリング。その活躍の影には、女子レスリングが五輪種目に採用される前から、レスリングに情熱を注いできた多くの先駆者の汗と涙がある。その代表が、吉村祥子だ。
 1968年に神奈川県藤沢市で生まれた吉村が、レスリングと出会ったのは、いまをさかのぼること22年前のこと。プロレス好きの友人に誘われ、日本レスリング協会が普及などを目的に開催した練習会に顔を出したのがきっかけだった。素早い身のこなし、勘の良さは群を抜き、すぐに関係者の目にとまった。だが、当時、高校3年生。五輪種目ではない女子レスリングの社会的認知度はまだまだ低く、レスリングを行うことは、家族の猛反対にあった。
 それでも、吉村は譲らない。強い思いでレスリングの世界に足を踏み入れると、その年の世界女子アマチュアレスリングフェスティバルでいきなり2位。大学進学後の89年には、世界選手権女子44㌔級で優勝。日本女子初の世界チャンピオンの座を獲得した。
 その後も順調に成長を続け、世界の表彰台の常連になった吉村は「五輪があればなぁと思い続けてきた」という。そんな願いが通じたのか、2001年9月、国際オリンピック委員会(IOC)は、04年アテネ五輪で、女子レスリングを正式種目することを決定した。「どんなに強くても、出られなかった仲間が大勢いる。そういうみんなの思いを、私がアテネに運ぶ」。強い決意で練習に取り組んだが、すでに30代。ケガもあり、アテネ五輪選考会となった03年12月の全日本選手権では初戦で坂本真喜子に敗れ、04年2月のジャパンクイーンズカップでは3回戦で伊調千春に完敗。五輪の夢は、無情にも崩れ去った。
 だが、世界選手権を5回も制し、長年にわたり日本女子レスリング界の礎を築き上げた実績は、少しも色あせることはない。吉村は現在、日本オリンピック委員会(JOC)エリートアカデミーなどのコーチとして、ジュニア世代の育成に情熱を注いでいる。まだ見ぬ五輪の舞台を目指して…。=敬称略(謙)