次世代に伝えるスポーツ物語一覧

陸上・為末大 現役へのこだわり

 「ボロボロになりながらも走れるのは幸せ。行けるところまでやろうと思う」。悩み抜いた末に、走り続けることを選択したアスリートがいる。陸上の世界選手権男子四百㍍障害で2度銅メダルを獲得した為末大。故障を抱え、30歳という年齢的にも「引き際かな」という思いが胸にあったという。それでも「走りたいという思いに抗えなかった」。
 自身3度目の北京五輪では予選落ち。五輪で決勝進出を果たす、という目標はかなわなかった。競技生活の集大成という思いが強かったものの、春先から脚に故障を負い、何とか代表権を手にするのが精いっぱいという状況だった。それでも「五輪の舞台に立てば、何かが起こるのでは…、何かを起こせるのでは…」という“可能性”に懸けて臨んだレースで惨敗。自然と「引退」の2文字が浮かんだ。時間が経てば、「惨敗」すら思い出に変わるとも思っていた。自分を見つめ直すために、五輪後、海外を“放浪”した。だが、一向に思い出に変わることはなかった。「頭に浮かんでくるのは、次(のレース)への改善策ばかり。あのときああしていれば、とか…。走ることしかない頭になっていた」。結局、旅はいかに自分が現役に拘っているかを浮き彫りにした。それでもまだ迷いはあったという。客観的にみて満身創痍。「自分は無理をしていまの実力をキープしており、(今後)力が落ちていき、負けてまで続けるのかとも考えた」が、競技への思いが上回った。「練習拠点を海外に移して、2012年ロンドンを目指す」。気持ちは定まった。
 為末は北京五輪を花道に9月に引退した短距離の朝原宣治を引き合いに出し、「朝原さんは潔かった。でも僕は情念、怨念がグラウンドに残っていて、引くに引けない」と語り、「(五輪の)決勝の舞台を走ってみたいというあこがれが強いので、何とかロンドン五輪までたどり着きたい」と訴えた。もちろん覚悟もしている。「苦しい思いは若いころより多いと思う。でも(体の)痛みとの闘いも、陸上が好きだということの一つ」と自らの気持ちを見据え、例え夢が叶わなくとも「最後はヨーロッパの片隅の記録会で(現役生活が)終わっても、それも自分らしい。(体が)壊れたり、途中で挫折したりしたとしても、幸せな競技人生だと思う」。
 自らが思う以上に、険しい道かもしれない。それでも「走りたい」という思いに従い、そして自らの可能性に懸ける30歳。再び世界を相手に勝負するために、挑戦を続ける。それはなぜ走るのか、を自らに問う闘いかもしれない。=敬称略(昌)