次世代に伝えるスポーツ物語一覧

サッカー・風間八宏


 平成5年のJリーグ開幕。元ブラジル代表のジーコや元英国代表のリネカーら有力外国人選手が注目を集める中、ドイツ帰りの日本人選手が一人、気を吐いた。ドイツで学んだプロフェッショナル精神を日本にも伝播しようと、開幕に合わせてドイツから帰国したサンフレッチェ広島の風間八宏だった。
 静岡県清水市(現静岡市)で育ち、名門・清水商高時代にユース代表、筑波大で日本代表に選出されるなど、日本サッカーを背負う逸材として将来を嘱望された。しかし、風間は当時日本サッカーの最高峰だった日本サッカーリーグでのプレーを選ばず、海外でのプレーを熱望した。昭和59年のロサンゼルス五輪後、テスト生同然でドイツのレバークーゼンの門をたたき、日本人で3人目のブンデスリーガの選手となった。その後、ドイツのチームを転々としたが、5年後、平成元年のJリーグ開幕に合わせて日本に戻った。欧州の他のチームから声も掛けられたが、「自分が協力することで上に行けるチームにしたかった」と迷いはなかった。
 サンフレッチェ広島のJ開幕戦となった対ジェフユナイテッド戦。開始1分でチーム第1号ゴールと日本人選手リーグ初ゴールを決めた。同じ年のセカンドステージの第1節においても、リーグ戦で日本人初めての直接FKによるゴールを決めた。6年のファーストステージ優勝にも貢献した。
 風間は9年に現役を引退した後、一層サッカーに深くかかわっていく。桐蔭横浜大サッカー部監督やサッカー解説者を務めながら、16年に郷里・清水で選抜された小学生から高校生を一緒に指導する念願のクラブ「清水スペシャルトレーニング」を立ち上げた。最大の目的は「個の力をみがく」こと。年代の違う子供たちを一緒に指導し、さらに各年代の指導者も一堂に会することから、子供と大人両方にとって大きな刺激を与えた。「(清水スペシャルトレーニングは)選手が自分で自分を磨くところ。技術がないと上には行けない」「ボール扱いだけでなく、味方や敵、時間と場所を自分で見つけていく」。「個の力」の大切さを強調するのは常に世界を見据えた自らがドイツで痛感した思いからだろう。
 4月からは筑波大サッカー部監督の肩書きも加わった風間。現場の目線から、日本サッカーに提言を続ける。=敬称略(有)