ラグビー・坂田好弘
2007年9月7日、パリ郊外・サンドニにあるスタット・ド・フランス。ラグビーの第6回ワールドカップ(W杯)の開幕セレモニーに、世界を代表する20人の伝説的な名選手による「ラグビー・スターズ」が登場すると、8万人の大観衆で膨れ上がった観客席から大声援がわき上がった。ウェールズが誇る名SH、ガレス・エドワーズら、そうそうたる顔ぶれの中に、「空飛ぶウイング」として名をとどろかせた坂田好弘(現大阪体育大ラグビー部監督)の姿があった。
「ニュージーランドで最も有名な日本人」といわれる坂田が、ラグビーに出会ったのは高校1年、京都・洛北高に進学してからだった。俊足を生かして1年からすぐにレギュラーに定着すると、同志社大2年で日本代表入りを果たし、強豪の近鉄に入社と、ラグビーエリートの道を順調に歩む。
そして、1968年6月、敵地に乗り込んでのオールブラックスジュニア戦で、縦横無尽に走り回り、実に4トライの大活躍を演じた。弱小国の日本がラグビー大国・ニュージーランド予備軍を23-19で破る大金星の立役者となった。身長は168㌢と決して大柄ではないが、相手にさわらせることなく抜き去るステップは、ラグビー大国の目利きのファンさえ驚愕させ、地元メディアは「空飛ぶウイング」と賛辞を送った。それだけにとどまらず、この年のニュージーランドの年間最優秀選手5人のうちの1人にも選ばれている。その真骨頂は「即座に止まってかわす技術」にこそあったといわれるが、中学時代に柔道で鍛えた強い足腰があってこそのものだった。
坂田は翌69年、単身でニュージーランドへ渡る。ホームステイをしながら、クライストチャーチのカンタベリー大クラブでプレー。慣れない環境をものともせず、ラグビーの本場でもその能力を発揮し、あっさりニュージーランド学生選抜、カンタベリー州代表入りを果たす。「年間最優秀選手」に選ばれたパフォーマンスが本物であることを証明し、ラグビーワールドに名をとどろかせた。
あれから40年近くの歳月が経過し、何人ものラガーマンが海を渡ったが、坂田ほどの名声を得た選手はまだいない。まさに、日本が生んだ最高のトライゲッターといえよう。=敬称略(謙)