次世代に伝えるスポーツ物語一覧

野球・野茂英雄


 1996年9月17日。米デンバーのクアーズフィールドで、1人の日本人メジャーリーガーが偉業を成し遂げた。標高1600㍍の地にあるために打球が飛びやすく、打者有利といわれる球場で、ロッキーズ相手に堂々のノーヒットノーラン。マウンドの上にいたのが野茂英雄だった。イチロー、松井秀喜、松坂大輔と、いまでは日本球界で成功した選手が当然のように米メジャーリーグに活躍の場を移すようになったが、野茂はその道を切り開いた先駆者でもあった。
 88年ソウル五輪で銀メダルを獲得した日本代表のエースとして、翌89年のドラフト会議で史上最多の8球団から1位指名を受け、近鉄に入団。剛速球とフォークボールを武器に、プロ1年目に最多勝、最優秀防御率など8冠を獲得し、その後も3年連続で最多勝を手中にして日本球界のエースとして君臨した。
 そんな野茂の野球人生が大きく揺れ動いたのは94年。オフの契約更改で、代理人交渉と複数年契約を求めたところ、交渉が暗礁に乗り上げた。そこでメジャー挑戦を口にする。スター選手の海外流出は大騒動に発展したが、野茂の決意は揺らぐことなく、メジャーへの挑戦権を勝ち取った。日本球界はその後、「ポスティングシステム」に代表される米球界への移籍方法を整備し、日本プロ野球から大リーグへとつながる道ができた。
 満を持してロサンゼルス・ドジャースと契約すると、いきなり13勝6敗と大活躍。力対力の真っ向勝負は、まさに野茂の求めていた世界だった。そして2年目の96年9月のノーヒットノーラン。打者に背番号がはっきり見えるほど体をひねる独特のトルネード投法は全米から喝采を浴び、95年3月までの230日以上に及ぶストライキの影響で人気低迷気味だった大リーグの救世主ともなった。
 97年以降はケガに悩まされ、トレードやマイナー落ちを繰り返す。それでもレッドソックスに移籍した2001年にはオリオールズ戦で再びノーヒットノーランを成し遂げるなど、“奇跡の復活”を繰り返した。
 今年7月、引退を表明。06年、07年にはベネズエラに渡ってまでメジャー復帰を目指した末の結論だったが、野茂は「引退する時に悔いのない野球人生だったという人もいるが、僕の場合は悔いが残る」とコメントした。歴史を創った男は、日本で78勝46敗、メジャーでは7球団を歩き渡り、123勝109敗という成績と、数字では計り知れない業績を残し、ユニフォームを脱いだ。=敬称略(謙)