次世代に伝えるスポーツ物語一覧

陸上・山下佐知子監督


 昨年11月の第30回大会で幕を閉じた東京国際女子マラソン(2009年11月から横浜開催)。その最後を飾る優勝者インタビューの壇上で、師弟が顔を見合わせた。優勝した尾崎好美(27)が感謝の言葉を述べると、第一生命監督の山下佐知子(44)は「一緒にお立ち台に乗せてくれてありがとう」とおどけ、そして「歴史ある大会の最後をこういう形で飾れてうれしい」と語り、相好を崩した。
 山下にとって感慨深い大会だった。1979年の第1回大会からこの東京国際に出場し、5回目で日本人初優勝を果たした佐々木七恵にあこがれた。鳥取大在学中のことだった。思いは膨らむ。87年に大学を卒業し、中学校の教師になったのだが、マラソンへの情熱が抑えられない。ついに家族の反対を押し切って1学期だけで退職、実業団の扉を叩いた。中学を去る際には「マラソンで日本代表になるために辞めるんです」と挨拶したという。それだけに夢に向け、必死に取り組んだ。地元、東京開催の91年世界選手権女子マラソンで銀メダルを獲得。翌92年バルセロナ五輪女子マラソンでも、メダルにこそ届かなかったが、4位入賞を果たした。高橋尚子、野口みずきといった五輪金メダリストの活躍の陰に隠れてはいるが、いまに続く女子マラソン隆盛の礎を築いたランナーだ。
 94年に指導者に転身し、96年に第一生命監督に就任。陸上界では数少ない女性指導者として、ここでも“可能性”を押し広げている。そんな山下が「指導者として駆け出しのころで、あの優勝でやっていけると自信をもらえた」と振り返るのは、97年のやはり東京国際。教え子の伊藤真貴子が優勝を果たした大会だった。現役時代は苦手だったという駅伝だが、「駅伝なら力を出せる選手もいる。駅伝を目標におくことで個を強化しよう」と臨み、2002年12月の全日本実業団女子駅伝では、大会史上初の女性優勝監督となり、選手と抱き合って喜びを分かち合った。
 競技を離れれば「彼氏はいないの?」と選手を冷やかし、一緒にコンサートへ行くことも。だが、私生活には必要以上に介入しない。「自分で競技と日常生活のけじめをつける人間になってほしいし、練習を積んでも結果を出せなければ、競技をやめる方がいいと言ってやることも必要。見極めてやらないといけない」と指導者としての責任をしっかりと受け止める。だからこそ、「強くなるに従って手を離れていくような、それでいて信頼関係がしっかり築けているというのが理想」という。
 目標は世界に通じるマラソン選手の育成。山下が指導者として初めて世界選手権に送り出す尾崎が、8月の世界選手権(ベルリン)でどんな走りを見せるか。挑戦は続く…。=敬称略(昌)