次世代に伝えるスポーツ物語一覧

野球・張本勲


 昭和55年5月28日、川崎球場で前人未踏の記録が打ち立てられた。日本球界初の通算3000本安打。右翼スタンド上段への特大アーチで記録を飾った張本勲(当時ロッテ)は男泣きした。
 「よくここまでやって来れた。自分自身をほめてやりたい」。
 昭和34年に東映フライヤーズに入団して以来22シーズン目。敵将、阪急ブレーブス監督の西本幸雄をして「あの男の数字や記録へのこだわりは、すごい。執念のようなものを感じる」と言わしめる姿勢で取り組んできた結果だった。
 毎日300回の素振りを自らに課し、近鉄バファローズのジャック・ブルームがセーフティーバントがうまいと見るや、直接、コツを教わりに行った。「野球を極めるために必要なのは努力」との信念は中途半端ではなかった。それは努力して乗り越えるべき逆境が当たり前だった境涯と無関係ではなかっただろう。張本は広島市内に住んでいた4歳の頃、焚き火に右手を突っ込み、大火傷を負っている。小指と薬指がくっつき離れなくなった。小学5年で野球を始めたが、右手では上手く投げられず、途中で左投げに変えた。グラブは、その右手で握った。動く人差し指と親指の間でないと捕球しにくかった。
 5歳の時には被爆。グラウンドの外では在日韓国人への差別もあった。野球も中学時代は「エースで4番」で活躍したが、大阪の浪華商(現大体大浪商)では肩を壊して投手を断念せざるを得なくなった。「オレの野球人生は終わった」とさえ思ったという。
 そんな男が「安打製造機」と呼ばれるまでに成長して残した成績。通算安打3085本、生涯打率.319、首位打者7回。500本塁打以上(504本)、300盗塁以上(319個)というパワーとスピードを必要とする2つの記録も日本選手で唯一、達成している。
 安打記録は4月、イチロー(シアトル・マリナーズ)に日米通算で破られた。イチローを“あっぱれ!”と評し、「安打を打つことに関しては、彼の方が上。いい気持ちじゃないけど、イチローがこれから(ピート・ローズが持つ大リーグ記録の)4256安打を目指してくれる」と語る張本。その微妙な言い回しには、後輩への敬意と期待だけでなく、自身の野球人生への自負が滲んでいた。=敬称略(志)