次世代に伝えるスポーツ物語一覧

大相撲・舞の海


 平成4年初場所7日目、舞の海(前頭7枚目)は北勝鬨(前頭4枚目)との対戦を迎えた。その立ち会い。ぶちかまそうとする北勝鬨の右肩越しに飛び上がった。どよめく館内。目標を失い見回す北勝鬨の後方に素早く回り、懐に潜り込んで内無双で仕留めた。
 「どうせ負けるんだったらやってやれという気持ちだった」という舞の海だが、出羽の海親方(元横綱佐田の海)から「何でもやれ」とハッパをかけられ、稽古土俵でジャンプを研究していた。「八艘跳び」と名付けられた大技は、公称171センチ、97キロという小兵のハンディを補うために考案された必然の奇襲だった。
 青森県鯵ケ沢町出身。子供の頃から相撲に親しみ、名門・日本大学相撲部に進んだ。大学卒業時には公立高校への就職が決まっていた。しかし、同郷の後輩の急死を機に「一生懸命打ち込めるもの」を求め、平成2年5月、大相撲・出羽海部屋の門を叩いた。
 異能の力士の日常は、異例ずくめだった。
 身長が当時の新弟子検査の基準(身長173センチ以上、体重75キロ以上)に満たなかったため、頭皮と頭骨の間にシリコンを注入し、検査を通った逸話は有名だが、のちに髪が抜け、頭痛に悩まされるほど負担があったという。
 また、部屋の親方衆からは稽古量を制限されていた。「人並みにやったら体が壊れる」が理由。その中で創意と工夫で技を磨いた。立ち会いの瞬間に相手の目の前で両手を叩き、驚いたスキに懐に飛び込む「猫だまし」、内掛けと足取りを同時に仕掛け、頭でも相手の腹を押す「三所攻め」、後ろに下がる立ち会い。常識にとらわれない多彩な技を駆使し、“技のデパート”の異名をとるまでになった。
 6年9月場所には小結に昇進。身長203センチの曙や体重250キロ以上の小錦ら大型力士との対戦で館内を沸かせ、通算5度の技能賞を受賞。11年11月場所を最後に引退した。「目標以上の成績を残せた。精一杯やったので悔いはない」と振り返る。
 舞の海の存在は、体格基準を満たさない力士志望者に門戸を広げる「第2新弟子検査」の創設を後押ししたとされる。同検査の受験資格は167センチ、67キロ以上で、短距離走など8項目の運動能力テストが課せられる。
 小学生の時の相撲大会で現役時代の舞の海の胸を借りたという豊ノ島(169センチ)が、同検査の合格者として初の関取となり活躍している。「自分が舞の海関を格好良いなと思ったように、今度は相撲をやっている体の小さい子供達にそう思ってもらいたい」と話す豊ノ島。舞の海が小さな身体で懸命に歩んだ土俵人生は、相撲ファンに多くの記憶を、そして、後進には大きな道と夢を残した。=敬称略(志)