次世代に伝えるスポーツ物語一覧

レスリング・伊調姉妹


 「姉妹で金」。兄弟姉妹で同じ競技に携わり、ともに日本一を、そして世界一を目指す例は少なくない。しかし、まるで夢のような「姉妹で金」を公言し、その実現に限りなく近づいたのが、レスリングの伊調千春・馨姉妹だ。
 青森県八戸市で生まれた姉妹は、地元のクラブでレスリングに出会う。まず、姉、千春が5歳で4歳上の兄、寿行(現在綜合警備保障レスリング部コーチ)の影響で競技を始め、すぐに妹、馨も続いた。
 「努力型の姉と才走る妹」。2人をよく知る関係者たちは千春と馨を相反するタイプの選手だと認識する。姉妹を指導する中京女子大の栄和人監督も、「千春はすべてを真剣に受け止め、馨はすべてが楽観的」と分析している。中学時代には全国レベルの選手に成長していた千春は、中学3年生時のJOC杯ジュニアオリンピックで敗れた選手がいたことから京都・網野高校に進学。大学もレスリングの名門、東洋大に進学したが、当時のライバル、坂本日登美を追って東洋大を中退し、中京女子大に入学する。まさに「孟母三遷」を地でいく勝利への執念を見せた。一方の馨は2002年の世界選手権で初出場初優勝を果たし、以来世界選手権5連覇を成し遂げるなど早くから世界女王の地位を守ってきた。だが、2人は常に互いを思いやり、2人で五輪に出場することの意義を強調し続けた。その思いが結実し、女子レスリングが五輪正式種目となった04年のアテネ五輪、2人はそろって出場を決めた。夢の実現に一歩近づいた。
 しかし、先に戦った千春は決勝で敗れ、銀メダルに終わる。馨は危なげなく勝ち進み、金メダルを獲得。非情にもメダルの色が2人を分けた。千春が「こんなメダルならほしくない」と肩を落とせば、「金を取った気がしない」と馨。2人の夢は4年後に持ち越された。そして08年の北京五輪。千春はまたも決勝で涙をのみ、2大会連続の銀メダルとなったが、千春の精神状態は4年前から成長していた。千春は「メダルは銀色だったが、馨と歩んできた道は金色。わたしの中では金メダルです」と名言を残した。千春の試合直後、馨が涙をぽろぽろこぼしながら、「よく頑張ったね」と、千春を抱きしめる。千春がどれだけもがき苦しんできたかを一番そばで見てきた4年間は、馨にとっても試練の4年間だったのだ。もちろん、馨の2大会連続金メダルを千春は心から祝福した。
 千春が馨を「レスリングがうまく、ずば抜けたセンスを持っているのはもちろん、自分には決して真似もできないプラス思考がある。最も尊敬する選手」と称えれば、馨も「千春がいるから競技を続けられる」と姉を慕う。互いへの畏敬の念が競技への原動力になり、「姉妹で金」の目標につながっていた。
 「姉妹で金」という史上初の快挙は12年のロンドン五輪までお預けとなったが、五輪における女子レスリングの歴史が浅いとはいえ、目標に向かい、努力し、そして精神的な成長にもつなげた4つのメダルを、伊調姉妹は十分に誇っていい。=敬称略(有)