次世代に伝えるスポーツ物語一覧

剣道・宮崎正裕


 「宮崎の前に宮崎なく、宮崎の後に宮崎なし」
 これだけの賛美を受けることができる者はどんな世界でもそういるものではない。しかし、全日本剣道選手権優勝6回(うち連覇2回)、準優勝2回の宮崎正裕(神奈川県警)はこの賛美にたしかに値する。
 1963年2月に横浜市で生まれた。父親の勧めもあって、小学1年から町の剣道道場に通いはじめる。しかし、決して稽古熱心ではなく、むしろ3年後に入門した3歳違いの弟、史裕の方が上達は早かったようだ。実際、史裕はさまざまな大会で好成績を残した。一方で、宮崎が初段を取ったのは5回目の昇段審査で中学2年のときだった。
 のちの成績から考えればドン亀のような歩み。だが、東海大相模高校へ進学して成長は加速する。強豪にもまれる中で、人一倍の稽古を積み、相手の弱点や攻略法をノートに書き込むほどの研究熱心さで、3年時にはインターハイ県予選の個人・団体ともに優勝を果たした。高校卒業後は神奈川県警に奉職し、もちろん剣道を続ける道を選んだ。
 身長173センチと決して大柄ではないが、得意技はメン。防御を固めて徹底的に守り抜き、少ないチャンスをものにする。その一瞬の隙をみた飛び込みは群を抜いていた。27歳のときの1990年の全日本選手権初出場で見事に初優勝。翌年の同大会でも優勝し、史上初めての連覇を達成した。
 3度目の優勝がかかった1993年、弟・史裕と決勝で対戦した。史裕は東海大相模、神奈川県警と宮崎と同じ道をたどり、そしてここでも兄に追いついてきた。開始から2分。メンとドウの打ち合いで、兄のメンが一瞬まさり、一本。その後の弟の火のような攻めをしのぎ、兄弟対決は兄に軍配が上がった。
 しかし、5度目の優勝と2回目の連覇がかかった1997年。同じく史裕との決勝対戦は、延長戦に突入し、弟のメンが兄をとらえ、2回目の兄弟対決は弟が勝った。宮崎は試合後、「負けたのは悔しいが、ここまで勝てたから」と語り、弟の勝利を心から祝した。“人生のライバル”とはいえ、兄弟の絆はなによりも固かった。
 宮崎は翌1998年から連覇を飾り、前人未到の同大会6回優勝という記録を打ち立てた。1999年には日本スポーツ賞特別賞を受賞。同賞受賞はオリンピックにかかわる競技以外ではきわめて珍しい。2003年に現役を引退し、神奈川県警で後輩の指導にあたっている。昨年の全日本選手権では、自らが神奈川県警に勧誘して教えてきた正代憲司が優勝した。現役引退後も宮崎の剣道にかける思いは続いている。=敬称略(銭)