次世代に伝えるスポーツ物語一覧

ラグビー アンドリュー・マコーミック

 「ありがとうアンガス」-。2003年度のラグビー日本選手権3回戦(2004年2月21日、東京・秩父宮)で、釜石シーウェイブスは関東学院大に敗れた。これが現役最後の試合となったアンドリュー・マコーミックが、釜石応援団の象徴である大漁旗を片手にグラウンドを1周すると、スタンド全体から拍手と喝采が送られた。さまざまな形で日本ラグビー界に貢献したラグビー王国からの“伝道師”に対する感謝の気持ちの表れだった。
 祖父のアーキー、父のファーガスともに、世界最強といわれるニュージーランド代表でプレーしたラグビー一家の長男。当然のように幼少時から楕円球に親しみ、カンタベリー州代表で活躍するなど、才能を開花させた。その人生が転換期を迎えたのは1992年、25歳のとき。新天地を求めて東芝府中に入社すると、バックスの攻守の要であるCTBとして、1996年度から日本選手権で3連覇を成し遂げたチームに貢献。普段の穏やかな笑顔から一変、顔を真っ赤にしてプレーする姿は「赤鬼」と呼ばれ、相手チームから恐れられた。
 だが、プレー以上にマコーミックが周囲に影響を与えたのは、練習でも一切の妥協を許さないラグビーに取り組む姿勢であり、勝利への執着心だった。そのリーダーシップは言葉の壁を差し引いても余人をもって代え難く、1998年には日本ラグビー史上、初めて外国人として日本代表の主将に就任。「自分を外国人選手とは思っていない」と言えるほど、日本人以上に日本代表に誇りを持ち、1999年ワールドカップでもチームを牽引した。
 2000年に一度は引退し、東芝府中のヘッドコーチに就任したが、本物の心技を兼ね備える男を必要とする声は収まらない。2002年には、日本選手権7連覇という大記録を達成したこともある新日鐵釜石という名門企業チームを引き継ぎ、地域クラブとして再出発した釜石シーウェイブスのラブコールに応え、「日本への恩返し」と現役復帰を決意。2年間のブランクを猛練習で克服すると、“北の鉄人”を19年ぶりの日本選手権出場に導き、釜石の街に希望の灯を点した。
 日本ラグビーと正面から向き合い、最も愛された外国人は今年春、NTTドコモのヘッドコーチに就任。トップリーグ昇格を目指すチームに、その魂を注入している。=敬称略(謙)