次世代に伝えるスポーツ物語一覧

柔道・阿武教子

 2004年8月19日、アテネ五輪柔道女子78キロ級の決勝戦。阿武教子は残り12秒で劉霞(中国)に袖釣り込み腰を決め、一本勝ちを収めた。過去2回の五輪では、ともに初戦敗退と自分の柔道がまったくできなかったが、3度目の舞台で己に克ち、まさに「三度目の正直」を果たした。
 阿武は1976(昭和51)年、山口県の福栄村(現萩市)に生まれた。柔道を始めたのは3歳から。兄、貴宏と姉、美和とともに柔道家の父、靖から直接厳しい指導を受けた。中3のときに全国大会56キロ超級で優勝し、高校は柔道の強豪、柳川高校に進む。阿武の才能はここでさらに開花し、インターハイ女子団体2連覇、金鷲旗高校柔道大会3連覇に貢献する。個人でも高1で出場した世界ジュニア選手権72キロ超級で銀メダルを獲得。高2で初出場した全日本選手権は4連覇、全日本選抜体重別選手権においては前人未踏の12連覇を果たした。
 これだけの成績を残す一方で、五輪だけが大きな壁となって阿武の前に立ちはだかった。初五輪は1996(平成8)年のアトランタ大会。だが、初戦の開始30秒で一本負けを喫した。郷里の福栄村からの応援も断って臨んだシドニー大会(2000年)でも初戦でまさかの一本負け。悪夢は繰り返された。柔道の世界選手権はアトランタ五輪翌年の1997年、1999年と連覇し、「重量級の女王」として臨んだだけにショックは大きく、五輪後は1カ月も畳から離れた。
 この“スランプ”から抜け出すために、阿武は徹底的に自分自身と向き合った。敢えて過去2回の五輪の試合のビデオを見て「こんな情けない試合をしていたのかと腹が立った」と発奮材料にもした。「平常心」を保つため、アテネにはシドニー五輪では断った地元の応援団にも来てもらった。強い心を取り戻し、シドニー五輪後も、世界選手権の連覇を「4」まで伸ばした「女王」の前には、もはや五輪の魔物はいなかった。「2度の五輪で初戦敗退してどうなるかと思っていたが、優勝できてよかった。振り返れば、2度の試練があったから今があります」。8年越しの金メダルを手にし、涙で君が代を聞いた。
 アテネ五輪の金メダルで日本女子選手では初の3冠(五輪、世界選手権、全日本選手権)を達成したが、アテネ五輪後は強化指定選手を辞退し、実質的に現役を引退した。現在は全日本女子のジュニアコーチを務め、今年3月には高校と大学の先輩で全日本女子監督を務める園田隆二との結婚を発表。今後は夫婦で将来の金メダリスト育成に励む。=敬称略(有)