次世代に伝えるスポーツ物語一覧

スピードスケート・田畑真紀

 わき上がる歓声が屋内リンクに響く。2010年2月27日。バンクーバー五輪スピードスケート会場となった五輪オーバルでの最終レース、女子団体追い抜き決勝に臨む田畑真紀は、緊張なくリンクに立てていた。「ただ『やってやる』と思っていました。後輩たちも落ち着いていた」。過去3度の五輪に出場したが、メダルに届かず、集大成の思いで臨んだ今回も1500メートルで19位。個の力ではメダルに届かなかった。だが、力を合わせれば「やれる」。こう思えた。
 「頑張っていきましょう。おう!」。控え室では日本選手団の橋本聖子団長、補欠に回った15歳の高木美帆とともに円陣を組んだ。「穂積(雅子)の『おう』がテンション上がらず、笑ってしまった」。力みが消えた。千載一遇のチャンスだった。今季W杯ランク1位のカナダは予選で消え、同2位のロシアもいなくなっていた。
 小平奈緒のスピードに、穂積のスタミナ。ともに個人種目で入賞を果たした23歳の後輩たちの力に、自らの経験をプラスできれば、戦える。田畑はレース展開を判断する役目を担った。前回トリノ五輪ではメンバーそれぞれが個人種目を優先した結果の4位。今回は昨夏から実業団の枠を越えて合同練習を重ねて臨んだ。ゴール寸前、小平が内側へ、中央に田畑、そして穂積が外側へ。3人がほぼ並んで「力を出し切れた」というゴール。3分2秒84。惜しくも0秒02差の銀メダルだった。
 3位決定戦で敗れ、涙を飲んだトリノ五輪。あれから4年。田畑は「勝てると浮ついた気持ちがあった」と当時を振り返り、「今回は終わるまで気を緩めないと決めていた。若手の重しになりました」。
 個人種目では今回もメダルに届かず、「気持ち的にもきつかった」。そんなとき、スケートを始めたころの思い出が支えに。今大会前、モチベーションを高めようと、アルバムをめくり、気づいたという。「小学校1年のとき、初めてメダルをもらってうれしくて、メダルが欲しくて…。それで頑張ってきた。いつしか忘れてしまっていたが、最後の最後に初心に返って最後の五輪に臨めました」。北海道鵡川町の氷上祭りでもらった「原点の金メダル」だった。
 4度目の舞台で手にした念願のメダルには、スピードスケート日本女子の五輪最高成績を塗り替えるというおまけもついた。「後輩たちにはこのメダルを自信につなげて欲しい」。35歳は、同じ年女で一回り下の後輩2人と手をつないで表彰台に飛び乗った。そして表彰台から降りると、メンバー3人は精一杯の声援を送ってくれた高木の首に次々に銀メダルをかけた。財産が今後へとつながった。=敬称略(昌)