次世代に伝えるスポーツ物語一覧

競泳・田口信教

 1972年ミュンヘン五輪。この大会で“反骨精神”をまざまざと発揮して男子100m平泳ぎで優勝を果たしたのが田口信教。日本勢として五輪競泳で1956年メルボルン大会以来、16年ぶりとなる金メダルだった。
 伏線は4年前のメキシコシティー五輪。愛媛県に生まれ、中学3年から瀬戸内海を隔てた広島県の三原三中に“水泳留学”した田口は、尾道高2年の17歳で五輪切符をつかむ。迎えた五輪本番。100m平泳ぎ準決勝で1分7秒1をマークしてトップに立った。初の五輪での快挙…だが、決勝に進むことは出来なかった。平泳ぎでは違反にあたる足の甲で水を打つドルフィンキックと認定され、失格となったためだった。自らが立つことが叶わなかった決勝の舞台を制したタイムは1分7秒7。17歳の少年は「ガッカリもしたが、(タイムに)“何だ”とも思った」という。優勝できるだけの力を確認し、「この次こそは」との思いを強くしたのだろう。失格という挫折をバネに、4年後に向けた挑戦が始まった。
 気持ちの強さとともに、研究熱心でもあった田口は、泳法の改良に次ぐ改良に打ち込む。キックは足首を水面ぎりぎりまで沈めて音が出ないようにし、外国の関係者に写真を送ってアピールもしたという。さらに手首を鍛え、体が倒れそうになるくらい前傾して飛び出す、ロケットスタートも編み出した。こうした努力は形となって現れ、記録は飛躍的に伸びていった。
 そしてミュンヘン五輪。100m平泳ぎ決勝に臨む田口がこの日のために“練り上げた作戦”もズバリとはまった。ロケットスタートでフライングすれすれに飛び出したが、先行はせずに50㍍は7位でターン。先行型とみられていた田口を意識してオーバーペースに陥ったライバルたちを尻目に、体力を温存した田口は後半に入って“ギア”を入れると、ごぼう抜きでトップに。先行型というイメージは、この日を想定して意図的につくった“トリック”だった。頭脳的な作戦と、創意工夫、努力が合致しての優勝。タイムは1分4秒94の世界新。雪辱を期した4年間の思いを込めた泳ぎは、初めて1分5秒の壁を破る会心の勝利となって結実した。=敬称略(昌)