次世代に伝えるスポーツ物語一覧

柔道・塚田真希

 2004年8月20日。アテネ五輪の柔道女子78キロ超級決勝で、塚田真希はベルトラン(キューバ)と対戦した。ベルトランに背負い落としで技ありを奪われ、押さえ込まれる。周りの誰もがこれまでか、と勝負を諦めかけた瞬間、塚田が仕掛けた。体制を入れ替えて逆に後ろけさ固めで抑え込み、逆転の一本勝ちをもぎ取った。中国勢が圧倒的な強さを誇る最重量級で初めて日本人が金メダルを手にした瞬間だった。「ひとつひとつ、きつい合宿をやってきたから絶対に負けられなかった」。塚田は、はにかみながら偉業を振り返った。
 塚田が柔道を始めたのは、中学一年生のとき。元々は美術部志望の“文系少女”だったが、1982年のバルセロナ五輪でけがを抱えながら柔道男子71キロ級で金メダルを獲得した古賀稔彦にあこがれ、柔道部の門をたたいた。本格的に競技にのめり込んだ土浦日大高校時代は、寮生活に加え、走り込み重視の厳しい練習についていけず、神経性の腸炎になったこともあるほど繊細な性格。それでも、母親や先輩の温かい励ましに発奮し、強い技と負けない心を体得していった。
 その後も東海大学、綜合警備保障と柔道の名門を歩み続ける。日本国内外で記録を作り続け、アテネ五輪では「五輪王者」の称号も手にした。それでも、塚田は「アテネ五輪は運が9割」と満足せず、08年の北京五輪での連覇を自身に課した。アテネでは本命の中国選手を倒さずに金メダルを手に入れたという事情があったからだ。特に、中国の●文とは05年世界選手権78キロ超級準決勝で敗れ、北京五輪前年の07年世界選手権同級決勝では、指導一つの差で破れた宿敵。北京五輪では、決勝戦まで双方とも順調に勝ち進み、最高の舞台で因縁の再戦が実現した。
 試合は塚田がまず小内刈りでひざまずかせ、ポイントでリード。相手に組ませずに逃げ切るという選択肢もあった中、塚田は最後まで前へ攻め続ける積極策を崩さなかった。残り8秒で●文に背負われ、まさかの逆転負けを喫したが、「ポイントを取っても、逃げずに前に出る気持ちが強かった。負けてしまったけれど、間違いを犯したわけではない」と爽やかに語った。
 塚田は今年9月、東京で54年ぶりに開催された世界選手権78キロ超級で銅メダルに終わった直後、来年4月の全日本女子選手権を最後に現役引退する意向を明らかにした。塚田の牙城だった78超級と無差別級で初の2階級制覇を達成した杉本美香ら、後継者も育ち始めている。それでもなお、“重量級王国”の風穴を開けた先駆者として塚田の功績は大きい。=敬称略(有)
※●は「にんべん」に「冬」