陸上・北京五輪男子400mリレー 「チームだから戦える」
個々の走力では敵うべくもない。だが、力を合わせれば…戦える。海外の強豪に比べ、個々の身体能力で劣る日本が、チームとしてその真骨頂を発揮したのが2008年北京五輪での陸上男子400mリレーだった。
「鳥の巣」と呼ばれた巨大なメーンスタジアムにフラッシュが明滅していた。決勝の舞台に立った4人の思いは「みんなの力を合わせて挑む。このメンバーなら、そしてリレーなら戦える」。冷静でいられた。前年の世界選手権金メダルの米国はバトンミスから途中棄権、銅メダルの英国は失格と、予選16チーム中、6チームが自滅する幸運にも恵まれ、全体の3位で進んだ決勝。まさに千載一遇のチャンスだった。
号砲が鳴る。第1走者の塚原直貴から第2走者の末続慎吾へ。そして第3走者の高平慎士を経てアンカー朝原宣治へとバトンをつないだ。38秒15での銅メダル。大歓声に沸くスタジアムで、歓喜の輪を作った4人。その表情には最高の笑顔が咲いていた。陸上のトラック種目での日本勢のメダル獲得は、1928年アムステルダム五輪女子800mで人見絹枝が銀メダルに輝いて以来、80年ぶりの快挙だった。
「僕がうまく行ければ、すべてうまくいく。末続さん目がけてぶっ飛びました」と塚原。思いを受け止めた末続は「塚原と高平が思い切り走れる環境を作ること。それだけを考えた」と振り返った。200m1次予選敗退。個人種目では力を発揮できずに終わった。末続ばかりではない。誰1人、個人では決勝にすら進めなかった。「このままでは終われない」。4人の共通した思いだった。予選の前々日のことだ。夕食後に、4人は誰となしに集まり、そして語り合った。思いのぶつけ合いは午前2時ごろまで続いたという。「速く走るにはどうすればいいか」「あいつら(海外勢)と同じことをやっていても追いつけない」-。気持ちを一つにし、奮い立たせて臨んだ決勝のレースだった。
男子400mリレーは、前回の2004年アテネ五輪で4位。2007年世界選手権でも5位入賞を果たした。リレーならば、世界に挑めた。まさにリレーは日本短距離の「希望の灯」だった。悲願のメダルを獲得した北京五輪で米国、英国が軒並みバトンミスで姿を消したのも、「(上位の失格は)関係ない。僕らがミスせず、いい仕事をしたということ」。朝原はこう受け止めた。高速で走りながらバトンをつなぐ。その技術があってこそのリレー。「日本の短距離界の先輩たちが歴史をつないできて、きょうの走りを加えて結果にできた」と末続。面々と紡いできた歴史があってこその銅メダルだった。
36歳の朝原から23歳の塚原まで、ともに思いをぶつけ合い合宿を過ごした日々。ゴールを駆け抜けた朝原は銅メダルを確認すると、バトンを夜空に放り投げて喜びを爆発させた。高平が抱きつく。末続が、塚原が加わった。4人はきっと思いを強くしたに違いない。「これでまた世界と、戦える」と-。=敬称略(昌)