次世代に伝えるスポーツ物語一覧

横綱、谷風梶之助

 八百長疑惑に揺れる大相撲界。共通のルールの下に競い合うスポーツにおいて八百長はもちろん言語道断だが、伝統的な形式美をも継承してきた大相撲では、ちょっと勝手が違う面もあるように思う。例えば、昨年、白鵬が連勝街道(63でストップ)をひた走る中で、双葉山とともに名前が挙がった江戸時代の横綱、谷風梶之助。この谷風を語るエピソードに、大相撲への見方が現れている。

 エピソードといっても谷風が登場する落語の演目で人情噺のフィクションなのだが、あらすじはこうだ。大病を患った母親の薬代で蓄えを使い果たし、空腹のまま黒星を重ねていた小兵の佐野山という相撲取りが十両にいた。どうにもならない佐野山の窮状を知った谷風は、佐野山との取組を願い出て、実現させる。そして多くの懸賞がかけられた一番で佐野山に「孝行に励め」と声をかけ、熱戦を演じて土俵を割った-という内容だ。谷風の八百長?は生涯この1回だけという噺で、噺自体、事実ではないという。だが、人格、力量ともに優れていた横綱、谷風に、人々が求めた力士像がそこには示されている。

 その谷風だが、とにかく強く、そして人情噺にもなるように人格面でも抜きんでており、後の横綱の模範とされた。本名は金子与四郎。1750年(寛延3年)9月にいまの仙台市で生まれた。1776年(安永5年)10月場所で2代目「谷風梶之助」と改名し、1781年(安永10年)3月場所で正式に大関となる。

 1778年(安永7年)3月場所初日から、江戸本場所で土つかずの63連勝を記録。さらに連勝ストップの後にも43連勝を達成した。年号が昭和となって双葉山が69連勝を果たすまで、実に約150年もの間、連勝記録は更新されなかった。江戸本場所における通算成績は49場所で258勝14敗16分16預5無勝負、勝率は9割4分以上。優勝相当は21回にも及んだという。それを年2場所制(現在は年6場所)で達成したのだから驚く。人格的にも優れており、実質的な初代横綱とされる所以だ。

 1789(寛政元年)11月、小野川才助とともに吉田司家吉田追風から横綱を免許され、この時が実質の横綱制度の発祥とする見方が有力で、この横綱制度や弓取式など、現在まで続く大相撲界の形式の多くがこの時代に形作られたという。

 八百長と人情相撲は違う。だが、大相撲を選手権で優勝を目指すようなスポーツと同列にみるのもまた違和感がある。相撲界がよりよい形で再起するのを願うばかりだ。=敬称略(昌)