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八百長根絶を目指して 日本相撲協会・放駒理事長

 八百長問題で揺れる日本相撲協会のトップに立ち、連日対応に奔走しているのが元大関魁傑の放駒理事長だ。理事長を語る相撲協会関係者は、みな口を揃える。「あんな真面目な人はいない」と。この未曾有の難局に、「クリーン魁傑」と呼ばれた現役時代の土俵態度同様、ひたすら誠実に向き合おうとしている。
 魁傑こと西森輝門(てるゆき)は昭和23年、山口県岩国市に生まれた。中学高校と柔道で鳴らしたが、日大1年の時に人生の転機を迎える。花籠親方(元幕内大ノ海)に熱心に誘われ、大学を中退して角界入りしたのだ。柔道3段の基礎体力を生かして番付を駆け上がると、日大同期で同部屋に入門した輪島にも刺激を受け、50年初場所後に大関昇進。部屋のある地名から転じて、輪島、同門の貴ノ花と共に「阿佐ケ谷トリオ」と呼ばれて人気を博した。特に褐色の肌と精悍な顔立ちから“黒いダイヤ”と異名を取った魁傑には女子学生の声援が多かった。
 この力士を語るうえで欠かせないのは、大関昇進を伝える相撲協会の使者を2度も迎えたこと。大相撲の長い歴史の中でも唯一の出来事である。一度目の大関は左肘の故障の影響もあって、わずか5場所で陥落。しかし、けがを言い訳にせず、患っていた肝炎も伏せて土俵に立ち続け、52年春場所で大関に返り咲いた。「休場は試合放棄と同じ」との自身の言葉通り、41年秋場所の初土俵から54年初場所の引退まで1場所も休場せず現役を全うした。
 引退後は年寄「放駒」を襲名し、“ガチンコ”で知られる横綱大乃国を育て上げる一方、相撲協会内では審判部長や巡業部長を歴任。昨年8月、武蔵川前理事長(元横綱三重ノ海)の後を継いで第11代理事長に就任した。「戸惑っているが、道筋をしっかりつけていきたい」。暴力団対策などを片づけ、本場所も正常開催に戻した。そして、公益財団法人への移行準備に本格的に取りかかろうとした矢先に表面化したのが今回の八百長メールだった。
 加熱する取材攻勢に苛立ちもあったろう。だが、春場所の前売り延期を決めた2月4日、本場所開催も中止の危機に立たされていた瀬戸際で、報道陣に、こう語りかけている。
 「朝、部屋の前に来る記者から会社名も名乗られずマイクと突きつけられ、カメラが顔に当たる。そこまでは我慢する。でも道路に飛び出して他の車を止めたり、事故になったら運転手に迷惑をかける。もし事故になったら……見て見ぬふりして行っちゃうからね」。最後は冗談で締めくくり、含んで聞かせる姿に“らしさ”が垣間見えた。
 そして、春場所中止を発表した6日の会見では、「うみを完全に出し切るまでは土俵で相撲をお見せすることは出来ないと考えている。必ずや実態を解明してみせます」と全国の相撲ファンに再生を誓った。16日に63歳になった双肩には、かつて角界の誰もが経験したことのないほどの大きく重い責任がのしかかっている。
 この会見の途中、放駒理事長が一カ所だけ「個人の意見」と断ったうえで、語気を強めた場面があった。
 「全ての力士が故意による無気力相撲を行っているわけでは断じてないということ。国技という文化を胸に日夜、稽古に励んでいる力士がいるということ。その情熱を土俵にぶつけているということ。応援する力士を信じ、これからも応援してやっていただきたい」
 己の相撲人生と、信じてきた相撲道。それに対する強い誇りが言わせた言葉だった。=敬称略(志)