次世代に伝えるスポーツ物語一覧

ボクシング・浜田剛史

 バンテージの下の左手は原型をとどめないほど腫れあがり、ひどく痛んだ。1981年7月、フィリピン人ボクサーとの10回戦を戦い終えると、人差し指と手首をつなぐ中手骨が折れていた。対戦相手を一撃でマットに沈める豪腕の破壊力に、拳が耐えられず悲鳴を上げたのだ。
 男の名は浜田剛史。プロデビューして3年目、8戦連続KO勝利のサウスポーは、まだ、この故障を「職業病だ」と受け止めることが出来たという。
 しかし、休養が明けた4カ月後に再び痛みが走る。同じ箇所を2回目の骨折。手術を経て半年後、三たび骨に亀裂が入った。復活への期待が高まるたびに突き落とされる、より深い絶望。さすがに「ショックがあった」。気持ちを奮い立たせ、再度治して練習に向かったが、またも骨は折れた。左拳は約1年半の間に4度砕けた。
 ハードパンチャーゆえの泥沼の中、それでも心は折れなかった。7人兄弟の末っ子である浜田は兄の影響で小学校4年からボクシングを始め、沖縄水産高校ではインターハイのフェザー級王者に。卒業後、帝拳ジムに入ったのは「世界チャンピオンになる」という子供の頃からの夢を叶えるためだった。
 2年のブランクを経て復帰すると、日本ライト級王座、東洋太平洋同級王座を次々と獲得し、ついに86年7月、初めて世界戦まで辿り着く。対するはWBCのJ・ウエルター級王者レネ・アルレドンド。37勝35KOの強打者を相手に、身長で10cm以上劣る挑戦者はゴングから果敢に距離を詰めて打ち合った。そして、1回終了間際、右フックをヒット。ぐらついた相手の顔面に左、右、右、左と叩き込む。メキシコ人王者は崩れるように倒れていった。

 英国のボクシング専門誌が「疑いなく86年最大の番狂わせ」と賞賛した3分9秒のKO劇。チャンピオン・ベルトは、骨折で左が使えない間に徹底して鍛えた右と、再起を諦めなかった左の両方の拳でつかみとったものだった。

 階段を歩いて上れなくなるほど練習で自分を追い込む浜田は、この試合までに右膝の半月板を損傷していた。2度目の防衛戦、アルレドンドとのリターンマッチに6回TKOで敗れると、右膝の回復も思わしくなくグローブを置いた。生涯戦績21勝(19KO)2敗1無効試合。骨折を挟んで記録した15試合連続KOは今も日本記録である。=敬称略(志)