次世代に伝えるスポーツ物語一覧

競泳・鈴木大地 16年ぶりの頂点

 「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」-。孫子の兵法ではないが、1988年ソウル五輪競泳男子100m背泳ぎで、鈴木大地はこの言葉を実践した。人一倍の努力で身につけたバサロ(潜水)スタートを武器に、世界記録保持者に挑み、そして勝った。綿密な読みと分析がもたらした金メダルだった。

 五輪の舞台、強豪がそれこそひしめく中で、大地は1人だけをライバルと捕らえていた。五輪直前の全米選手権で54秒91の世界新記録を樹立し、好調のままソウルに乗り込んできたバーコフ(米国)。前年、ユーゴスラビア(当時)で行われたユニバーシアードでは大地が先んじたものの、五輪を前に大地のベストはバーコフに及ばない55秒32。前年の勝利はもはや過去のことだった。「どうしたらバーコフに勝てるか」-。1967年生まれの大地に対し、バーコフは66年生まれと、同年代だったこともあり、ライバル心は募っていく。いつしか「バーコフにだけは負けたくない」という思いが強くなっていった。

 一方、十年来、二人三脚でコンビを組んできたコーチの鈴木陽二は五輪に際し、ひとつの作戦を持っていた。レース当日の9月24日。予選は昼。同じ組に入った2人の“初戦”はバーコフの圧勝に終わる。バーコフは54秒51という驚異的な世界新をマーク。大地は55秒90の予選3位での通過だった。バーコフとは「1秒39差」。近づくどころか、引き離されてしまった感さえあった。このままでは夜の決勝で勝つ可能性は限りなくゼロに近い。この状況で、陽二コーチが授けたのが「バサロスタートの距離延長」という秘策だった。

 スタートからドルフィンキックで潜ったまま進むバサロスタートは、距離を延ばし過ぎると後半のスタミナ切れを招く、両刃の剣の側面があった。だが、陽二コーチはバサロの距離を従来の25mから30m強に延ばすように指示。「銅はいらない。狙うのは金だけ。そんな思いでした」と振り返る大地も、コーチの狙いを理解し、この秘策に懸けた。

 一世一代の勝負。鈴木師弟の狙いは見事にはまった。学究肌のせいか神経質だったというバーコフは物の見事にあわてた。いつものように25mで浮き上がるはずの鈴木が、決勝ではまだ潜っていたからだ。いつもと勝手が違ったバーコフは無意識のうちにピッチを上げて50mをターン。だが、鈴木も体半分の差で続く。前半に力を使った分だけバーコフは後半に伸びを欠き、鈴木の追い上げを許す。予選を大きく下回る55秒18でゴールしたバーコフに対し、鈴木は55秒05の日本新記録で泳ぎ切った。バサロという十八番を武器に、繊細なバーコフをあわてさせられると判断して立てた作戦が見事に的中しての金メダルは、日本競泳界にとってミュンヘン五輪以来、実に16年ぶりの歓喜の瞬間ともなった。=敬称略(昌)